「いつの日か、古巣のソフトバンクに“投資したい”と思わせたい」志高く自らの山を登り始めた起業家の挑戦

作成日:2017年7月19日(水)
更新日:2018年8月10日(金)

あの日抱いた志は、尊敬する起業家や信頼する友人の“言葉”の後押しを受け、実現への道を歩み始めた―。

みらいワークスがお届けする『プロフェッショナリズム』、今回のインタビューは嶋田光敏さん。
30歳で上京し、将来の起業のためのスキルアップを目指し、ソフトバンクアカデミアやグロービスに入塾。粛々とスマートに独立に向け準備を進めた印象のある嶋田さん。しかし友人の叱咤激励に後押しされて独立を決意したお話や独立後に「何の事業をやるのか」で悩み抜いたエピソードなど、お話を伺いする内に熱い内面を次々と見せてくださいました。起業家ならば共感必至のインタビュー、必読です。

嶋田 光敏

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

ソフトバンク株式会社(旧Jフォン株式会社、後にVodafone株式会社)にて法人営業や営業戦略立案、新規事業開発に携わり、2015年11月に独立。フリーコンサルタントとして活動しながら現在の事業着想と仲間を得て、2017年4月にこれまで経営していたスマートシェアリング株式会社からクラウド型RPAサービスを提供するBizteX株式会社へ社名変更。 BizteX株式会社:https://www.biztex.co.jp/  

新規事業案件
 

嶋田 光敏

「自分の登る山」を模索した末、友人の一言に後押しされ独立を決意

10年以上在籍していたソフトバンクから2015年に独立し起業された嶋田さんですが、独立を決意したきっかけは何だったのでしょうか?

嶋田さん(以下、敬称略):もともと地元の香川県でずっとサッカーをやっていて、社会人になってからも『カマタマーレ讃岐』という現在はJ2に所属するチームでプレーを続けていました。24、5歳の時に「サッカーを仕事にしたい」という想いから会社を辞め、母校のサッカーコーチ兼プレーヤーという生活をしてみたのですが、コーチといってもアルバイトのようなもので金銭的に厳しく、その1年後に現在のソフトバンク、当時のJフォンに転職しました。

そのまま地元で法人営業をしながらサッカーを続けていたのですが、30歳近くになり所属していたチームがJリーグを目指すため現在のカマタマーレ讃岐へチーム名を変更し、選手も元Jリーガーを集め出しました。そのように刺激ある環境になる反面、私自身元々才能や技術があるわけでもなかったため、更に出場機会からも遠ざかって行きました。しかし、法人営業では経験・知見が高まり四国でいながら全国No.1の達成率を取ることができました。この二つのことがきっかけで、一旦本気でサッカーの道を追いかけることはやめて、ビジネスに本気で向き合おうと考え、自分から手を挙げて東京に異動させてもらいました。

↑一段目中央あたりの3番が嶋田さん。

これまで出張ベースで東京に来ることはありましたが、仕事をして生活をすることは初めてでした。そこで、今の自分の志や課題感につながるきっかけとし、ヒト・モノ・カネ・情報が圧倒的に多く集まる東京で働き始めて地方とのギャップを目の当たりにしたこと。そして、ITを使ってそのギャップを埋めることで新しい生き方や働き方が可能になるのではないかと感じたこと。これが独立につながる志を持ち始めた最初のきっかけでしたね。2007年、ちょうどJフォンの後身であるボーダフォンがソフトバンクに買収された少し後でした。

その後ソフトバンクで働きながら、更に具体的に独立への志を高めるきっかけが二つありました。一つはソフトバンクアカデミアに入ることができて、その中で孫さんがおっしゃった「自分の登る山を決めろ」という言葉です。孫さん曰く、自分の登る山を決めたら半分成功したようなものだと。当時の僕には自分の山がまだ見えていなかったので、その言葉にはかなりグッときましたね。

もう一つのきっかけは、37歳の時に通い始めたグロービスでの『自分の志を言語化してプレゼン』した経験です。その経験を通して、上京した時に感じた、『ヒト・モノ・カネ・情報のギャップをITの力で埋めていくこと』、それによって『世の中の生き方や働き方をプラスの方向に変えていくこと』、これが自分の登る山なのではないかというのが見えてきました。また、孫さんの言う『自分の登る山』と、グロービスが言う『志』は同じだということも自分の中で認識したタイミングでもありました。

ソフトバンクでの最後の3年くらいは新規事業開発の責任者をさせていただいていたこともあり、会社に属しながら色々な新しいプロジェクトを経験することもできて、それはそれですごく面白かったのですが、結局はそれも孫さんの登る山を手伝っているようなものだと。グロービス卒業時にこれからは勉強に使っていた時間が空くこと、年齢的にも40歳がギリギリでこのタイミングを逃すと出来ないと思い「自分で立ち上がろう」と決心して独立しました。

 

40歳で起業というのはなかなか勇気がいりますよね。

嶋田光敏 カマタマーレ嶋田:そうですね。家庭も子供も家のローンもあるのに大丈夫かなという気持ちは正直ありました(笑)。ただ、家族には上京した時から「いつか経営者になりたい」という話はしていましたし、ソフトバンクアカデミアやグロービスに行く時も将来の起業のためだということは伝えていたので、独立するにあたっては妻から「どうせ私がダメって言ってもやるでしょ」と言われました。良い意味で私を理解して後押ししてくれる家族だと思っています。

 

 

とても理解のある奥様ですね。10年かけてご自身のスキルに磨きをかけつつ、ご家族の理解も取りつけながら起業に向けた準備をするというのは、なかなかできることではないと思います。

嶋田:でも、実は一番の後押しになったのは友人からの厳しい一言でした。ソフトバンクで新規事業のプロジェクトを一緒にやっていた友人なのですが、起業を迷っていた時に飲みの席で彼から「お前は会社では忙しそうにしていながら自分のやりたいことに向けては何もアクションしていない、“アクティブ・ノンアクション”だ」、「本気で後ろのドアを閉めないから、偽りの前のドアが中途半端に開いているのだ」と言われたのです。

要は、退路を断って起業に向けて本気で動けと(笑)。“アクティブ・ノンアクション”というのも“後ろのドアを閉める”というのも『リーダーシップの旅』という本に出てくる言葉なのですが、グサッと来ましたね。それで飲みの席での勢いもあり「わかった!会社は8月までに辞める!」と言ってしまったのです(笑)。実際に辞めたのは9月末になったのですが、友人のその言葉はかなりの後押しになりましたね。

 

そんな出来事があったのですね(笑)。でも、そこまで言ってくれる友達はなかなかいないと思うので、大切なご友人ですね。

「何をやるか」で悩み抜いた日々

現在はクラウド型のRPAサービスを開発中とのことですが、ソフトバンクを辞める時にはもうそのビジネスでいこうと決めていたのでしょうか?

嶋田:いえ、実はこれは独立後に手掛けた二つ目のビジネスなのです。初めはシェアリングエコノミー関連のビジネスを検討しており、独立後3ヶ月間くらいはビジネスモデルを考えたり、エンジニア探し、投資家まわりをしていたのですが、結果的には立ち上げる前に頓挫してしまいました。今振り返るとものすごく甘いところがあったなと感じます。その経験から事業立ち上げに対して不安も感じ始め、まずはコンサルタントとしてキャッシュを稼ぎながら、もう一度改めて自分のやるべきビジネスを考え直したのが昨年1年間でした。

 

そういった中で現在のビジネスに辿り着いた背景にはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

嶋田:大きく二つありますね。一つ目は、コンサルの仕事をする中でRPAを知ったこと。ずっとB to Bの新規事業開発や営業戦略構築をやってきたのでコンサルで入るのもそういったプロジェクトが多かったのですが、戦略を作ると裏側のオペレーションまで依頼されることが多く、オペレーションの効率化を模索する中でRPAに出会いました。

嶋田光敏 カマタマーレ

二つ目は、RPAを使ったビジネスの将来性、そして自分のキャリアとの親和性の高さに気づいたことです。RPAを活用しながらコンサルの仕事をする中で、会社員時代にもさまざまな定型的なオペレーションがあったこと、そしてそういったルーティン業務をこなすことに対するメンバーの不満があったことを思い出し、これは大きなニーズがあるのではないかと思うようになりました。ソフトバンクのようなIT領域の企業でもさまざまな定型オペレーションを人手でやらせているのだから、他の多くの企業にも同じようなニーズはあるのではないかと。

長らく通信業界でB to Bのビジネスをやっていたので売り方や拡げ方もすんなりイメージできましたし、構想をいろいろな人に話すうちにアドバイザーに入ってくださる方や投資家やエンジニア仲間などもでき始め、この領域なら自分が世の中に大きく価値を拡げていけるのではないかと思うようになりました。昔から感じていた「ITによってヒト・モノ・カネ・情報をより多くの人に届けたい」という想いと合致したことも大きかったですね。

 

ご自身の経験の中からビジネスの種を見つけられたのですね。ちなみに、最初に検討されていたシェアリングエコノミー関連のビジネスも何らかのご自身の経験とリンクしていたのですか?

嶋田:正直なところ、そのビジネスの時はリンクしていませんでした。なんとなく時代の流れでこれから盛り上がりそうだとは感じていたのですが、やはり自分自身もピンときていなかったのだと思います。そういう場合、経験もないので拡げ方もわからないですし、結果的に成功のイメージが伝えきれずに、人もお金も集まらない、ということをその時に学びました。

加えて、当時もう一つ痛感したのが、ソフトバンクのようなヒト・モノ・カネ・情報のすべてが揃っている会社の中で新規事業開発をやるのと会社の外でゼロから自力で立ち上げるのとでは全く違うということでした。ソフトバンク時代は「こういう領域でこういうプロジェクトを立ち上げろ」という号令がトップダウンで下りてきていたので、自分は関係者を集めてプロジェクトを動かしていけばよかった。でも、何もないところから自分でアイデアを練り、その実現のために今まで無関係だった人たちを集め、さらに資金も調達する。そのためにはやはり強い志と人を惹きつける人間力が必要だと痛感しましたね。

いつか古巣に「投資したい」と思わせたい

現在の仲間はどのようにして見つけられたのですか?

嶋田:最初の一人はアドバイザーに入ってくださっている方にご紹介いただきました。スキルも高くマネジメント経験もあり思考もしっかりしていたので彼をCTOとして迎えたところ、さっそく知り合いの中から優秀な人間を三名ほど引き抜いてきてくれて、それによってグッとチームらしくなりましたね。初めて会った時に「自分より優秀な人間を引き抜いてくるのもCTOの仕事だ」と言っていたのですが、まさにその言葉通りの仕事をしてくれています。

 

素晴らしい出会いがあったのですね。立ち上げ当初から人を雇用することに抵抗はなかったのでしょうか?

嶋田:売上が立たないうちにキャッシュが出ていくことに対する怖さはありましたが、万が一の場合は一人でコンサルをやれば生きていけるということが昨年1年間でわかったこともあり、今は事業をスケールさせるために仲間を増やすべき時期だと判断しました。一人ではできないことに挑戦して新しい価値を生み出し、それを世の中に広く届けたい。その想いが怖さを上回った感じでしたね。

 

確かに、いざとなったら自分で稼げると思えるとリスクをとれますよね。同じように考える起業家の方が最近は増えてきている感じがします。万が一ビジネスに失敗しても、独立や起業の経験自体はプラスにこそなれマイナスにはならないというのが我々の考えなのですが、そういった考え方は日本の転職市場ではまだまだ一般的ではありません。だからこそ弊社は、独立・起業経験者の再就職支援を通してそういった考え方を広めていくとともに、働き方の可能性も広げていきたいと考えています。

嶋田光敏 カマタマーレ嶋田:素晴らしいと思います。僕も実際に独立してみて感じたのですが、会社という看板がなくなると、やりたいことを考える力や生きる力がすごく身に付きますよね。そういう意味では「仮に独立して失敗していても、その経験値と価値は高い」と思いますし、企業はそういう人材こそ採用すべきだと思います。

僕の好きな孫さんの言葉に「自分が一番すねに傷がある」というものがあるのですが、要はそれだけバッターボックスに立ってバットを振っている、つまりチャレンジしているからこそ傷がたくさんあるのだ、ということです。在籍している時は「だから君たちもいっぱい傷を作れ」と言われていました(笑)。

 

なるほど、あの孫さんでもそれだけ挑戦しているわけですからね。

嶋田:孫さんの場合はビジョンも桁違いに壮大で比較はできないのですが(笑)。ただ、僕たちも将来的にはソフトバンクに投資したいと思ってもらえるような勢いのある会社や事業を作りたいとは思っています。孫さんが側近に「あの会社面白いな、経営者は誰だ」と聞いた時に「昔ソフトバンクにいた人間です」と言わせたいなと。それを目指して事業を進める過程で、同じように起業を志している友人や後輩にも刺激を与えられて彼らの新しいチャレンジも後押しできれば最高ですね。

本日は貴重なお話をありがとうございました!

インタビューの中で、起業に至るまでのさまざまなきっかけについてお話くださった嶋田さん。その多くが古巣ソフトバンクの孫正義氏や共に働いた同僚、友人からの“言葉の力”であることがとても印象的でした。

今回のインタビューは、志は持っているのに踏み切れない気持ち、そして会社の看板がない中で事業を立ち上げることの難しさなど、一度でも独立・起業を目指したことのある方であれば共感せずにいられないエピソードが満載だったのではないでしょうか。そのような葛藤の日々を経て、志の実現に向けて試行錯誤するビジネスパーソンを、私たちはこれからも応援していきます。

 

新規事業案件