「とにかく好きな仲間と自由に働きたい」 起業することでその想いを実現した起業家が築いてきたキャリア
どんなに優秀なビジネスパーソンでも、雇用されている限り逃れられない配置転換。「好きな仲間とずっと一緒に働きたい」という、ささやかだけれど実は意外と叶わない願い。それを叶えられる唯一の方法が『独立・起業』でした。
みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは中野三四郎さん。
2011年に株式会社トライエッジを設立し、現在は中堅企業や成長企業に対するマーケティング支援を手掛けていらっしゃいます。就職氷河期の就職活動では、特に何も考えないままに働き始めたという中野さん。自らの意思とは関係のない会社の事情に振り回される中で、一つの想いを抱くようになります。
今もなお中野さんが大事にしているその想いとは?そしてその想いを胸に中野さんが歩んできたキャリアとは?
裏表のない人柄まで伝わってくるような、熱く、まっすぐなインタビュー、ぜひご一読ください。
中野 三四郎
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
人材派遣会社に新卒入社後、一貫してマーケティング部門に従事。営業戦略の立案、SFA / CRMの企画開発・運用、顧客分析などを行なう。その後、M&Aコンサルファームやメーカーの営業企画などを経て、株式会社トライエッジを設立。青山学院大学 大学院卒(MBA)。 ◆株式会社トライエッジ:https://triedge.co.jp/
中野 三四郎
会社の都合に翻弄されるサラリーマン時代を経て、震災を機に起業を決意
社会人生活10年目となる2011年に起業された中野さんですが、新卒の時はどのような観点で企業選びをしたのでしょうか?
中野さん(以下、敬称略):僕が新卒で就職活動をしていた頃はいわゆる就職氷河期ど真ん中で、やりたいことや職種を選べるような状況ではありませんでした。とにかく会社説明会に片っ端から行って面接を受けるという感じだったので、「企業を選ぶ」という感覚はありませんでしたね。
「なんとなく人材ビジネスって楽しそうだな」と思って受けたスタッフサービスから内定が出た時も、「この会社で長く働けたらいいな」というくらいの気持ちで、特に意識も高くない学生でした。
スタッフサービスでは2年目でマネージャーに昇格したそうですが、非常に早いご出世かと思います。
中野:「営業マンをどう動かしたら最も売上があがるのか」を分析して施策を考えるという、いわゆる営業企画の仕事をしていたのですが、急成長企業で社員の入れ替わりもかなり激しかったこともあり、2年目でマネージャーになるのも必然という状況でした。20代が多く、30代半ばになるともうゼネラルマネージャーになるのも珍しくありませんでした。
とはいえ、教えてくれる人もいない手探り状態の中で、年上の方も含め10名ほどをマネジメントするというのはやはり大変でした。2年目の若造の言うことなんて誰も聞きませんから(笑)。やりながら身体で学んだという感じでしたね。
なるほど。そこで何年間マネジメントをご経験されたのですか?
中野:7年くらいですね。2007年末にスタッフサービスがリクルートの傘下に入ったタイミングで、オーナーが立ち上げた別会社に転籍になったんです。
個人的には辞めたい気持ちは全くなかったので、あの時転籍しなければ今でもスタッフサービスにいたんじゃないかなと思います。大変ではありましたが勉強になることも多い会社でしたし、順調に出世し、給料も上がり、業務上の裁量も与えられていましたし。社内に顔が利くようになっていたことで思い通りに仕事もできていて、4年目を過ぎたあたりからは居心地がよくなっていたんですよね。
若くして責任ある立場を任されて大変な思いをした分、貴重なご経験も積めたのですね。転籍になった後、どのような経緯で起業に至ったのですか?
中野:転籍先は元オーナーがスタッフサービスを譲渡して得た資金で新規事業をやろうとして立ち上げた会社だったので、M&Aのコンサルティングやコールセンターの立ち上げなど、僕にとっては初めて人材以外のビジネスに触れた貴重な場でもありました。そこで「世の中にはいろいろなビジネスがあるんだな」と知ると同時に、自分の引き出しの少なさも痛感。もっと知識を増やしたいという思いから、MBAに行くことにしました。
働きながらMBAに通い始めると、ビジネススクールには既に起業している人も多く、ベンチャーキャピタルの人と話す機会があったり、起業家が講演に来たり・・・、そういうものに触れていく中で、起業も面白そうだなと思うようになっていきました。
サラリーマンである以上、自分がどんなに会社を好きでも経営の都合で離れざるをえなくなることもあるし、会社自体がなくなることもある。自分のキャリアを振り返る中で「サラリーマンじゃなくてもいいのかな」と思うようになったのもその頃でした。自分で会社を立ち上げれば、好きな仲間と好きなように仕事ができる。それなら自分でビジネスをやろう、と。
当時勤めていた会社はスタッフサービスの元オーナーの会社でしたから、起業前に別の経営者の下でも働いてみたいと思い、未知の業種だったメーカーに転職しました。そこで1年間マーケティングを経験したのですが、人材派遣業とは工程も時間軸も異なるメーカーでのマーケティングは非常に難しかったですね。いい経験になりました。
その後、ビジネススクールを卒業するタイミングに東日本大震災が重なり、「人はいつ亡くなるかわからないのだからやっぱり起業しよう」と背中を押され、2011年の9月に起業しました。
赤字補填のために始めたコンサルティング業からマーケティング支援事業へ
起業した当初は、現在のビジネスではなく学童保育所の運営をされていたのですよね。
中野:そうなんです、起業する人にありがちな失敗なのですが、自分のできることではなく自分がやりたいことをやってしまいました。
学童保育所の不足が叫ばれていた時期だったので、マーケットは確実に存在するだろうという気持ちと、かつ震災の後だったこともあり、世の中の役に立つことをしたいという思いで始めました。しかし自分の強みが何も活かせず、赤字で全然立ち行かない。3人で始めた会社でしたが、自分たちが直接子供の対応をできるわけではないので、当然スタッフも初めから雇わなくてはいけなくて。どう考えても成り立つわけがない(笑)。
だから僕らは最初から出稼ぎでしたね。知り合いの社長さんからマーケティングのお手伝いの仕事をいただいたりして。
その状態がどれくらい続いたのですか?
中野:学童保育所の赤字をコンサルで補填するうちにコンサルの方が軌道に乗り始め、3年目で会社としては黒字化しました。
ただ、主要メンバーがコンサルティングにかかりきりになってしまい、肝心の学童保育所の運営になかなか手がまわらなくなってしまい、このままでは仮に何か問題が起こった際にお客様にご迷惑をかけるかもしれないと感じ始めました。
経営陣で何度も話し合った結果、しっかりと子どもたちを見てくれる運営会社を探そう、ということになり、運良くそういった会社様と巡り合って最終的には事業をバイアウトしました。
そのような経緯があったのですね。そして、学童保育所の事業をバイアウトした後、コンサルティングのみに絞った事業に移行されました。
中野:もともとつてがあったコンサルティング会社を経由して大手IT企業の案件を受けていたのですが、案件の難易度が高かったこともあり、コンサルティングに絞ったタイミングで僕が会社を抜け、つてがあったコンサルティング会社の社員としてプロジェクトをマネジメントするという方法をとりました。
それ以降、矢継ぎ早にプロジェクトが発生し、現在に至るまで続いています。実は当時、大手IT企業からスペックの高い人材を求められることが多く、僕はコンサルティング会社の社員としてみらいワークスにプロフェッショナル人材の紹介を依頼していたんです。
そうだったのですね!現在は弊社にもご登録いただいてコンサルタントとして活躍している中野さんが、以前は弊社にコンサルタント紹介の依頼をしていたというのは、まさに弊社が目指している「プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステム」の見本のようなエピソードですね。中野さんご自身は、やはり雇用されて働くより独立して自由に働く方が向いていると思われますか?
中野:そうですね。僕は本来「何をするか」よりも「誰と働くか」を大事にしているので、組織に雇用されているよりも自力で自由に働く方が合っています。雇われていると一緒に働く人を選べないし、優秀だからという理由で異動させられることもある。それが僕にとってはものすごいストレスなんですよね。とにかく好きな人と自由に働きたい。
コンサルティング会社から自分の会社に戻った後、その後の事業内容について、共同経営者や他の社員と一緒に改めて話し合いました。コンサルティングも、もともと学童保育所運営の赤字を補填するために始めただけで、興味があってやっていたわけではなかったので。
話し合いの結果、「ZOHO」という顧客管理や営業支援のツールの拡販事業を展開しようという結論となり、現在はそちらに注力しています。とはいえ、それはそれで時間もかかりそうなので、今はまたコンサルタントとしてみらいワークスに登録して案件を紹介していただいているわけですが(笑)。
まさにエコシステムですね。弊社としてもありがたいです。「ZOHO」のことはどこで知ったのですか?
中野:コンサルティング会社にいる時に使っていたんです。スタッフサービスの頃から顧客管理や営業支援をやってきたので、よく考えれば当然、この分野が自分たちの強みなんですよね。そこをビジネスのメイン領域にしていくにあたって何か一つツールを抱えておきたいと考えた結果、「ZOHO」に行き着いたという感じです。
マーケティングオートメーションを自社でできる会社は少ないですし、ツール自体も安価で高性能なので、非常によく売れています。
導入先は中小企業が多いのでしょうか?
中野:個人事業主の方から、従業員100名前後くらいの会社まで幅広いですね。中でも一番多い依頼は、「他社のCRMを入れてみたものの、コストばかり高くて使いこなせないからZOHOに切り替えたい」とご相談いただくケースです。
ただ、事業としてはあくまでマーケティング支援なので、他社のCRMを使いこなしたいというご依頼にももちろん対応しています。その中でコスト面を含めた切り替えのご相談を受けた際にはZOHOも提案できるというスタンスですね。
「何をやるか」には興味がない
起業家として0から1を生み出した経験もありつつ、コンサルタントとして1のものを2にするためのサポートもしてこられた中野さんですが、ご自身ではどちらに向いていると感じますか?
中野:0から1を創り出す仕事はあまり好きではないですね。「0から1ならあなたの好きなようにしたらいいじゃないですか」という気持ちになってしまうので(笑)。
0から1にはしたものの、なかなか2にできない。例えば、会社もある程度できあがり、プロダクトもできているけれど、どう売ったらいいかわからない。そういう状況で、ボトルネックを素早く発見して最速で改善していくというのが得意です。“独創性”よりも“改善”が得意という点では、典型的な日本人だなと思います(笑)。
最後となりますが、今後の展望や将来像がありましたら教えてください。
中野:今の段階では、更に新しいことをやろうとはあまり考えていません。今やっているビジネスがうまくいけば、それをずっとこのまま広げていければいいと思っています。
先ほども言いましたが、「何をやるか」にはあまり興味がなくて、好きな仲間と自由にやっていたいんですよね。農業でもたこ焼き屋でも何でもいいんです。今やっていることも、「どうやらこれが一番自分たちの強みを活かせて、世の中に多くの価値を提供できそうだ」と思ってやっているだけなので。
強いて言えば、いいものを持っていて、会社を成長させたいという意欲もある組織に対して貢献していきたいなという思いは強く持っています。単純に人手が足りない大企業よりも、仕組み自体が整っていない、あるいは人材が足りないことで困っている中堅企業や、自分たちのビジネスをもっともっと伸ばしたいと考えている成長企業を、営業面からプロとして支援していければいいですね。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
「とにかく好きな仲間と自由に働きたい」と何度もおっしゃっていた中野さん。優秀だからこそ会社の都合で働く場を変えられ続けたサラリーマン時代のご苦労が、「誰と働くかが一番大事」という、どんな時もぶれない信念につながっているのだなと感じました。
また、コンサルタントを活用する企業側の担当者としてみらいワークスのサービスを利用していた中野さんが、現在はコンサルタントとしてみらいワークスのサービスに登録・活動してくださっているというお話も、プロフェッショナル人材が挑戦するエコシステムの創造をビジョンに掲げている私たちにとっては非常に頼もしいエピソードでした。
「何をするか」よりも「どう働くか」を重視する。それは「生き方」から「働き方」を考えることと似ているように思います。2020年、あなたも自分の生き方、そして働き方について、今一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。