1200年の歴史から考える“継承”と“ことばの意味”

作成日:2024年7月25日(木)
更新日:2024年7月25日(木)

日常の小さなヒントに気づけていますか?自分のアンテナを張り続け、情報感度を高めたい

 

先日、上場会社の社長数名で勉強会のため京都へ行ってきました。この勉強会は毎月行なっていますが、年に一度は普段の環境と違う場所で実施していて、今年は京都での開催となりました。

 

このブログを読んでくださっているみなさんも、旅行などで一度は京都に行かれたことがある方が多いのではないでしょうか。私もその一人ではありますが、今回訪れてみて改めて京都の文化を教えていただいたり、お寺の住職さんからのお話を伺ったりと、これまでとはまた違った角度で京都を知る機会となりました。

 

今回は、伺った話の中から特に興味深かったことについて書きたいと思います。

 

代表取締役社長 岡本祥治

一つめは、お寺の継承についてです。

 

昔と現在では寺の決まりが少し変わっているそうです。お寺を支えている僧侶の方々は、戦前までは結婚はできませんでした。結婚はしない、世襲制ではないというのがしきたりだったそうです。しかし、それではお寺の存続が難しいことから、のちに結婚が可能となりお寺に世襲制が始まったそうです。

 

また、今回、比叡山の延暦寺に伺いましたが、ここには延暦寺を開いた最澄の墓があり、墓のメンテナンスを行う方が常に一人いらっしゃるそうです。従来なら12年ほどで次の方に変わるそうなのですが、今は約15年、一度も下山せずにずっと支えている方がいらっしゃると聞き、大変な衝撃を受けました。そのようにして寺を守り継いでいる方がいらっしゃることは、ある意味で本当に悟りを開くというか、修行をされている方がいらっしゃるのだと感慨深く話を伺いました。

 

 

 

二つめは、みなさんも良く知る“油断大敵”のことばについてです。

 

約1200年前からずっと灯し続けている火があるそうです。1200年の間一度も消えたことはない火が実際そこにあり、私も見てきました。

 

その火は、ろうそくのロウが油になっている作りで、二人の僧侶の方が本堂の門を開く時と閉める時の一日に2回欠かさず油を継ぎ足すことで、火がずっと灯し続けているそうです。実は一週間ほど何もしなくても光が消えることはない程の油の量が入っていますが、それでも毎日ちゃんと継ぎ足し続けているそうです。

 

しかし、一日ぐらい忘れてしまっても大丈夫だろうという気の緩みが起きたらどうなるか。あるいは、昨日も足したし一週間は持つわけだし明日の人が足してくれたら大丈夫、ということを思い、それが続いてしまったとしたら、油が途切れて火が消えてしまうことが起こる可能性もあり得るのです。

 

 

株式会社みらいワークス

 

「油を断つ」これが油断の語源となり、断ってはならないっていう意味で“油断大敵”という言葉が生まれたと言われています。この言葉の由来はいくつかあるようですが、この逸話はそのうちの一つだそうです。

 

 

 

普段、何気なく使っている日本語が歴史的な何かに基づいて生まれている言葉であるという例は他にもたくさんあるでしょう。私がこの油断大敵という言葉で何よりも感じたことは、1200年という年月を積み重ね、それを今に継承している人たちが現世にもいらっしゃる。そのような文化と触れ合うことができることに、とても面白さを感じました。まだまだこのようなことから学ぶこと、気づきを得ることがたくさんあるだろうと改めて感じました。

 

言葉に限らず、普段の生活の中で当たり前となっていることはたくさんあると思います。しかし実はその中にも学びのきっかけや、何か気づきを与えてくれるかもしれません。例えば自宅から会社に出勤する間にも、小さな何かがある可能性があります。

 

それに気づけるかどうかは、「アンテナが立っているかどうか」ということだけではないでしょうか。常日頃からアンテナを立てていること、そこから何かを学び、気づきを得ようとすること、その差だけだと考えています。ぜひみなさんにアンテナを張り続けることを実践してほしいなと思っています。