IT業界の構造改革! 独立・起業を志す後進の道を切り開く新たな挑戦
父の背中を見て起業家を目指し、その夢を叶えた彼が抱いた次の夢は、後進のために道を切り開くことだった―。
「コンサルタントのワークスタイル」、今回のインタビューは中村清悟さん。
SIerから事業会社のシステム部門を経て独立・起業し、幅広い業界のシステム開発を手掛ける中村さんに、幼い頃に影響を受けたお父様のお話や、起業当初のご苦労、今後挑戦していきたいことなど、様々なお話を伺ってきました。
中村 清悟
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
大学卒業後、株式会社CSKに入社。プログラマー・システムエンジニア・プロジェクトマネージャとして金融機関向けのシステム開発を中心に約8年間勤務。その後、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社のシステム部門に転職し、戦略的なシステムや情報系システム、本社システムの企画・開発責任者として約15年間勤務。2011年10月、システムコンサルタントとして独立し、システムアクティベーション株式会社を設立。 システムアクティベーション株式会社:http://www.systemactivation.co.jp/
中村 清悟
父の背中を見て思い描いていた独立の夢に向かい、大震災をきっかけにチャレンジ
-中村さんはSIerから事業会社を経て独立されていますが、最初のキャリアチェンジを選択なさった背景にはどのような思いがあったのでしょうか?
中村さん(以下、敬称略):ベンダーからユーザーサイドに転職した理由は2つあって、1つはキャリア形成の観点、もう1つは収入面ですね。収入に関しては、やはりベンダーとユーザー企業では大きく違うので、そこは魅力でした。まぁ、人に話す時は収入面よりキャリア面の理由を言うことが多いのですが(笑)。
キャリアに関しては、私がいたのはソフトウェア中心のベンダーだったので、お客様と要件定義をしていても、上流領域、例えば企画とかインフラといった部分には立ち入れなかったのです。そうするとだんだんジレンマが出てきまして、もっと上の領域から自分が携わることができればもっといろんなことができるのに、と思い始めたのです。それで、ユーザー側の企業を探して転職しました。
-実際に損害保険会社に転職されて、思い描いていたような仕事はできたのでしょうか?
中村:できましたね。金融の中でも当時はそんなに大きくない会社だったので、何でもやらなきゃいけなかったというのもありましたし、たまたまオープン系にシフトしていく時期で「詳しいのならやってみて」っていう形でどんどん仕事がふってきたのもあって、やりたいことは結構やらせていただきました。
-その後、独立なさる際にはどのような思いで決断されたのでしょうか?
中村:もともと父親が中小企業診断士と行政書士の仕事で自営しつつ他の事業もやっていたので、それを子供の頃から見ていたのもあって、いつかは自分も独立したいなと思いながらサラリーマンをやっていました。でも実際に独立するとなると、勇気もいるしタイミングも難しくて。サラリーマン時代に結婚もして子供も生まれていたので、それなりの給料を捨てて新しい道に踏み出すっていうのは勇気が必要で、なかなか決断できませんでした。ただ一方で、早く独立しないと独立後に活躍できないっていうリスクも感じていましたね。
それで40歳の頃、「そろそろ決断しないとまずいかな」とは思うものの果たして本当にやっていけるのかという不安もあり、とりあえず資格を取ろう、資格があれば万一のことがあっても拾ってくれる人がいるのではないか、ということで、中小企業診断士の資格にチャレンジし始めました。独学で2年半ぐらいかけて資格を取って、その勢いで情報処理技術者試験のプロジェクトマネージャとITストラテジストの資格も取得ました。その一方で、人脈を作るためにツイッターも始め、面白そうな経営者やコンサルタントの何人かとコンタクトを取り、会いに行ったりするという活動もしていました。
結局2011年に独立したのですが、その直接的なきっかけは東日本大震災です。当時大きなプロジェクトのプロジェクトマネージャをやっていたのですが、あんな大規模な地震が起きて、やるなら早くやらないといつ命を落とすかわからないよなという気持ちになり、その年の9月末で会社を辞めて起業しました。まぁ、自分に言い訳してなかなか踏ん切りがつかなかったっていうのが実情ですね、小心者なので(笑)。
-お父様が自営業をなさっていた姿に相当影響を受けていらっしゃったのですね。
中村:そうですね。でも実はうまくいっていませんでした、父の事業は。中小企業診断士と行政書士は堅実にやっていたのですが、余力でやっていた他の事業はなかなかうまくいってなくて、その影響で私には、事業ってどうすればうまくいくだろう、なんで会社って潰れちゃうのかなっていう命題が子供の頃からありましたね。だからそれを解くっていうのが自分の人生をかけた仕事だという気持ちもあったし、自分でも事業をやってみたいとも思って、大学でも商学部を選びました。恥ずかしながら父は4回ぐらい倒産していました。中小企業診断士が倒産しちゃいかんだろと思うのですが(笑)。まぁいろいろ先進的な事業をやっていたのも原因の1つだとは思いますね。
-その命題のお答えはご自身なりに出せたのでしょうか?
中村:あらゆる面に原因がありますよね。会社ってリスクの塊みたいなものですから(笑)。大事なのはたくさんあるリスクの芽をうまくマネジメントしていくことで、経営者って難しいなと思います。苦手分野には手を出さない方が成功する確率は高まるとか、リソースがないのにいろんなことに手を出さない方がいいというのは共通して言えるかなと思います。
営業経験ゼロで起業し、悩みながら試行錯誤した日々
-起業してよかったこと、きつかったことは何ですか?
中村:よかったことは、自分で仕事を選べるところですね。そのおかげで、興味があることはいろいろやりました。例えばセールスフォースの資格ひとつ取るにしても、会社員だったら取得にかかる費用は全部持ち出しですが、自営だったら経費にできますし、資格を活かせるような仕事を自分で企画することもできる。まぁ本当は採算も考えないといけないのですが、チャレンジするのは自由ですから。あとは人を雇ったこともそうですし、ダイレクトメールを送ったり、セミナーを開いてみたり、色々とチャレンジできたのは経験としてよかったなと思います。
きつかったのは、やっぱり自分で仕事を取ってこないといけないこと、つまり営業ですね。もちろん「みらいワークス」のような仕組みもあるので大変ありがたいのですが、それに頼ってばかりだと事業を拡大できないという面もあるので、今でも悩みは営業ですね。やっぱり営業経験がないっていうのは足かせだなと思います。
-しかし、ご経験がないなりにご自身で工夫して、継続的に受注できているというのは素晴らしいですね。
中村:まぁそうなのですが、まだまだようやくわかってきたところで、最初はやっぱり相手が望んでいることを話の中から引き出す能力がありませんでしたね。あと、金額的な相場観がわかりませんよね。お客様とキャッチボールをしながら業務範囲と値決めをするというのが、経験不足で苦手なところです。特にシステムって物販じゃないので、目に見えないものに対して値決めをしないといけない。だから、結局はソリューション営業というか、お悩みを聞く、課題を聞く、そうやって時間をかけて関係構築していくっていうプロセスを踏まないとだめだってことが今さらわかりました(笑)。
周りのコンサルタントの方の立ち居振る舞い、特に外資系コンサルファームの方のサービス力やコミュニケーションの取り方、資料の作り方なんかは参考にさせていただいています。クライアントに対して自信を持って提言するようなところは非常に勉強になりますね。もちろんあまりに的外れな提案は問題外ですが、責任を負いつつも、断言してあげる方が親切だと感じる場面も多いと思います。
-事業会社にいらっしゃった時はコンサル会社やSIerを使う側の立場だったと思うのですが、その立場から見て優秀な人とそうではない人というのはどういう人でしたか?
中村:優秀な人は、頭の回転が速くて機転が利く人でしょうか。例えば一定時間の会議の中で、いろんな人がいろんな意見を言っている状況があったとして、それを最後きれいに整理して次のアクションプランまでまとめられるような人は頭がいいなと思いますね。インプットからアウトプットまでが短時間でできる人と言いますか。
逆に優秀じゃない人は・・・発言が少ない人ですかね。まぁでも相性もありますし、僕はどんどん整理してくれる人の方が頼りになるなと思っていました。ただ、じっくり分析するのが得意な方も、そういう人を求めるクライアントももちろんいらっしゃると思うので、人それぞれいろんな得意分野があるのかなと思います。
「ITで社会をよくする仕組みを作りたい」 後進のための活動に邁進する今
-先ほど営業で苦労されたというお話がありましたが、起業当初の立ち上がりはどういう状況だったのでしょうか?
中村:全然仕事が取れない状態で、初年度は赤字でした。結局知り合いとか人材紹介会社経由でいただいた仕事をしばらくやっていましたね。その後もまぁ・・・運ですね(笑)。
やっぱり最初は計画が甘かったですね。セールスフォースだったら売れるだろうという思い込みもあったし、資格も色々と持っているからとりあえず営業に行けば話は聞いてもらえるだろうと思って独立したわけですけど、これがまぁ売れやしない(笑)。こりゃだめだって踏ん切りをつけるまでに半年ぐらいかかっちゃって、その間の自分の食い扶持分は赤字です。もちろんある程度蓄えてから独立しましたし、その後は利益も出たので結果的には相殺で黒字化しましたけど、やっぱりよく言われる通り、独立する時には2年間ぐらいは食える程度の貯金はしておこう、と思いますね。
景気が与える影響っていうのもありますよね。僕の場合は大震災があったので、この後はよくなる一方だろうと思っていました。これだけ大きな震災が起きて仕事も止まっていたわけだから、回復してくれば仕事もどんどん増えてくるだろうと。でもそれが大間違いで、震災の翌年も景気は悪かったですよ。実は2011年と2012年ってリーマンショック以上に大変でしたよね、景気的には。IT業界も一番冷えていた時期でしたし。だからタイミングも悪かったですし、経済の先読みも甘かったなと思います。まぁどん底を知ったっていう意味ではいい経験なのかもしれないですけど、これから独立する皆さんには景気がいい時をお勧めしますね(笑)。
-今後も事業を続けていきたいと思っていらっしゃる、そのモチベーションはどこから来ているのでしょうか?
中村:やっぱりITで社会をよくする仕組みを作りたいですよね。自分にしかできないビジネスプランとか、社会を変えるような仕組みを世の中に提供して喜んでもらいたいという気持ちがあるので、そういうことをやっていきたいなと思います。食い扶持を稼ぎたいというのもありますけど、50歳も過ぎてくると自分に何が残せるか、という方向に頭をチェンジしていかないと、寿命もあるし活動できる期間にも限りがあるので。集大成としては、自分がやってきたことを活かして社会をいい方向に変えることができるという、そういうところを目指していきたいなと。
僕が問題だと感じているのは、日本のIT業界の多重請負的な構造とか、新しい技術やアイデアを持っている小さい会社が大企業と付き合えないところとか、そういう既得権益に縛られた業界構造ですよね。だから、それを解消するような仕組みを作ることで、後々僕みたいに独立したりベンチャーをやったりするような人の役に立てればと思っています。ちょうど具体的なプランができたところなので、それを残りの人生をかけて仕上げられればいいなと思っています。それが直近のモチベーションですかね。
-具体的にはどういったプランなのでしょうか?
中村:簡単に言うとビジネスマッチングサイトのIT特化版で、RFPの提案コンペをネット上でやれるようにするというものです。今は企業がシステム開発をする時って結局普段から付き合っている会社に相談するのがスタンダードなやり方で、そこからなかなか広がらないじゃないですか。コストをかけて新しい取引先を探すのもなかなか労力がかかると思うので、それをもっと簡単にできれば、ユーザー側は選択肢が広がるし、ベンダー側も売り込み先が増えるし、RFPを作るコンサルタントとかITコーディネーターにとっても取引領域が増えていいのかなと。要はITマーケットをデジタル化したいと思っていて、独立や起業を目指す人にとってのセーフティーネットになりうるという意味では「みらいワークス」と同じような存在とも言えますね。
市場を作るとかシフトさせるというのは難しいことですが、最近はIT企業が他の実事業を始めるケースも珍しくないですし、AIとかフィンテックも盛り上がっているので、今後5年10年でいろんな場面においてプレイヤーが変わってくると思いますよ。だから、それを期待している部分もありますね。自分が苦労したことは、後から来る人が経験しなくて済むような道を切り開いてあげられたら、その方がいいなと思っています。僕はきっかけ作りしかできないかもしれませんが、いずれ誰かが引き継いでくれたらいいなと。5年先10年先に花開くかどうかという感じだとは思うのですが、時間のある限り挑戦してみたいなと思います。
-本日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました!
「ITで社会をよくする仕組みを作りたい」、「これから起業する人たちが苦労しなくて済むような道を切り開いてあげたい」とおっしゃる中村さん。その高い視座の裏側には、IT業界特有の構造の中で経験された様々な想いや、起業当初の営業活動でのご苦労など、多くのご経験があるのだということが伝わってくるインタビューだったのではないでしょうか。
起業前の中村さんと同じように、独立を目指しつつもなかなか決断できずにいる方々が、ひとりでも多く初めの一歩を踏み出せるよう、みらいワークスは今後も未来に向けて挑戦する人を応援していきたいと思います。