「逆境に負けずに頑張る人を応援したい」 遠回りしても抱き続けた熱い想いで目指す途上国支援
“やりたいこと”を見失わずに進むこと。誰もが知っているその難しさを、立ち止まって考える勇気で乗り越えてきた女性にお話を伺いました。
「コンサルタントのワークスタイル」、今回のインタビューは大島里絵さん。
大学時代に国際関係を学ばれ、現在は途上国支援を行なう開発コンサルタントとして活動していらっしゃる大島さんですが、実はここに至るまでにフリーランスを含むさまざまなキャリアを経てこられました。幅広いご経験の中でぶつかった壁とは?そして志を貫く生き方の背景にある想いとは?
いわゆる“王道”のキャリアではなく、紆余曲折を経て悩み抜いてきたからこそ身に付けられた魅力があふれる大島さんのインタビュー。必読です!
大島 里絵
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
新卒で経営コンサルティング会社へ入社。その後シンガポールの現地法人へ転職し、採用業務に携わる。日本人の海外就職斡旋やアジアの若者の日本就職支援に携わったのち、フリーランスとして独立。現在は開発コンサルタントとして国際開発援助事業に従事。
大島 里絵
紆余曲折を経てたどりついた途上国支援の仕事
-この4月から開発コンサルタントとして国際開発援助事業に携わっていらっしゃる大島さんですが、もともとコンサルティング業界にいらしたのですよね。
大島さん(以下、敬称略):新卒でトーマツイノベーションという中小企業向けの人材育成支援をする会社に入り、営業・研修講師・コンサルタントという3足の草鞋を履いていました。大学では国際関係を勉強していたので、コンサル業界に入ったのは、ゆくゆくはユニセフのような国際協力・援助ができる組織で働くためのファーストキャリアステップとして、まずは修業を積みたいという気持ちからでしたね。そこに3年勤めた後、やっぱり30歳になる前に一度海外で働いてみたいと思い、日系人材紹介会社のシンガポール法人に転職しました。
-もともと海外留学もなさっていたのでしょうか?
大島:ええ、高校で1年間、大学で2年間、合計3年間アメリカにいました。
-シンガポールのインテリジェンスにお勤めになった後、すぐにフリーランスとして活動を始められたのですか?
大島:いえ、その間にもう1社、途上国の外国人人材を日本企業に紹介するビジネスを手掛けるベンチャーに参画していました。もともと途上国支援の仕事をしたかったので、先進国であるシンガポールでいつまで働くべきか、ずっと悩んでいました。結局シンガポールで1年ほど働き、日本に戻ることにしました。半年ほどベンチャーで働いた後、また就職するというオプションもあったのですが、しばらく自分でいろいろ考えたいと思っていた時期でもあったので、何もせずにフラフラしていました。そんな時、知人の経営者や前職の先輩から同時期にたまたま仕事のお声掛けをいただきました。1社だけを選ぶことができなかったので、ちょこちょこお手伝いをさせていただくようになりました。それがフリーランスになったきっかけです。
-期せずしてフリーランサーになったということですね。フリーランスとしてはどれくらいの期間働いていらっしゃったのでしょうか?
大島:1年半くらいです。フリーランスになって1年経った頃に、この先もフリーランスとして働いていきたいのかもう一度考え直そうと思いました。数ヶ月ほど悩んだ結果、やっぱり初心に返って「途上国支援の仕事をしたい」と。そこから就職活動をはじめ、現在の会社に入社することになりました。
-新天地はアイ・シー・ネット株式会社とのことですが、手掛けるビジネスは具体的にどのようなものなのでしょうか?
大島:メインは、JICAや世界銀行、アジア開発銀行などが公募する国際開発援助案件の入札に参加して、受注後はそのプロジェクトのマネジメントを行なうというODA事業です。一方ODAだけでは持続性効果に対する疑問が以前からあり、現在はODA以外の解決策のひとつとしてビジネスの力が注目されています。アイ・シー・ネットでは現地で起業家支援やベンチャーキャピタルのような事業を手掛けていたりもします。
-そのようなビジネスがあるのですね。新卒での就職活動ではこの業界にはチャレンジしなかったのですか?
大島:この業界は基本的に途上国での実務経験を重視するので、新卒はなかなか難しいのです。大学4年の時には、とりあえず就職活動でもしようというノリでかなりミーハーな就活をしたのですが、どこにもひっかかりませんでした(笑)。ただ、もともと大学院に進もうと考えていたので、いわゆるこういった国際協力などといったことを専門的に学べる公共政策大学院に進学しました。そこでユニセフや国連でインターンとして実際に働いていたのですが、「本物の即戦力でないと全く役に立たない」ということを目の当たりにしました。そこで自分の甘さや実力不足を痛感し、「まずは一番成長できる会社に新卒で入ろう」と思ったことが、大学院修了時の就職活動でコンサル業界を目指した理由ですね。
-なるほど。とはいえ、最終的にはもともとやりたかったお仕事にたどりついていらっしゃるわけですから、素晴らしいですよね。
大島:そうですね。いろんなご縁やタイミングが重なって、今の世界に戻ってこられたことに関しては「よかったな」と思っています。
手探りで進んだフリーランス時代
-フリーランス時代はどういったお仕事をなさっていたのですか?
大島:一番多かったのはライターの仕事です。オウンドメディアを持ちたいという企業は多いのですが、ビジネスの視点を持ってインタビューをしたり、独自の記事を書いたりできるライターは少ないらしく、お声掛けをいただくことが多かったですね。
-ブログの記事を拝読して、てっきり人材系のお仕事をなさっていたのだろうと思っていました。
大島:人材系の仕事も全体の3割くらいはありました。採用に際して企業の強みや人を集めるための見せ方を一緒に考えたり、実際に手を動かして資料を作ったり。執筆の依頼も、採用に関するものが多く、自社HPやリクルーティング用のSNSに載せる記事を書くことが多かったです。
-フリーランスとして活動する中で、難しかったことはありましたか?
大島:最初につまずいたのが、「仕事の業務範囲をどう設計し、それをいくらで提案するか」という部分でしたね。会社員時代は主に営業職だったので、利益よりも売上を重視していました。商品設計や、製造コスト等は深く考えず、とにかくすでにある商品をただ売っていました。そのおかげか、フリーランスになってからも営業に関しては困ることは少なかったです。もともと経営者のお客様とのつながりがたくさんあったので、ありがたいことに仕事のお声掛けはボチボチいただきました。
そんな中での難しさはやっぱり「自分の仕事をいくらで提案するか」という部分。特に中小企業の社長さんなどからは一人前の経営者というより、“女の子”と思われている側面も無きにしもあらずだったので、対等な立場で交渉して発注していただくということが、ことのほか難しかったです。
-なるほど、確かにその立ち位置での交渉は難しそうですね。それはどのようにして乗り越えられたのですか?
大島:失敗から学ぶしかありませんでした。最初の頃は何度も失敗して、「やっぱりこれもお願い」といったように、業務範囲は広がっていくのに金額は同じということが多くありました。「あぁ、やっぱり口約束ではだめだな、契約書は紙で結んでおいた方がいいな」とそんな当たり前のことを反省したこともありました(笑)。やはり相手が知り合いだとそのあたりは曖昧になりがちですし、ベンチャーの場合は依頼主もそういった法務まわりに慣れていなかったりしますし。
あとは、ありがたいことに「正社員で働いてほしい」と言っていただけることも多かったので、その点も毎回悩みながらの日々でした。お客様としては支援したいけれど、自分が正社員として「その会社のビジネスを本当にやりたいと思えるのか」という点でいつも悩んでいました。
逆境に負けず頑張っている人たちを応援したい
-やはり仕事を選ぶにあたっては「やりたいことかどうか」という点を大事になさっているのですね。
大島:そうですね、やはり目指す方向性が同じである方が長く続くと思います。というのも、以前あるメディアで記事執筆を依頼されたのですが、そこで求められる記事の方向性と自分が書きたい記事の方向性が強くズレていると感じたのです。それが、実はフリーランスをやめて就職しようと考え直したひとつのきっかけです。
駆け出しの頃は、とにかく自分の足で立つために片っ端から仕事を受けていたのですが、ある程度自分の足で立てるようになり、「どの道を歩いて行こうか」ということを考えられるようになってきた頃に、求められるものとやりたいことのギャップに気が付きました。自分が仕事をする上で譲れない思いは何か。会社員だった頃は、こういった行動指針のような価値観も会社から与えられていましたし、会社の存在意義や経営理念などもきちんと明文化されていました。しかし、フリーランスになるとそれがなくなるので、自分の行動指針は自分の中で作らないといけません。行動指針があれば、仕事を選ぶ時にも迷わずに済むし、仕事もしやすくなるはずなので。
-確かにそうかもしれませんね。ちなみに、記事の方向性の違いというのは具体的にはどういうものだったのですか?
大島:あくまで私の感覚なのですが、読者のターゲットや記事で伝えたいポイントが、自分の考えているものとは少し違うように感じました。「新しい働き方」の記事をたくさん書かせていただいたのですが、固定した考えを扇動している気がしはじめて。いわゆる新しい働き方の代表として独立・起業・フリーランス・リモートワークなどが注目されていますが、それはあくまで選択肢の一つ。「このまま会社員でいてはいけない」「優秀な人だけが生き残れる」というメッセージを発していると誤解されたくなかったんです。私は「人の優秀さは時と場合と環境によって変わる」と考えていたので、能力だけにフォーカスして良し悪しを語る記事を書くことには抵抗がありました。
-組織や環境にその人がフィットするかどうかはパフォーマンスを発揮する上で非常に重要な要素だと、弊社も人材ビジネスをやっていて痛感しています。
大島:私もずっと中小企業の採用を支援させていただいていましたが、経営者の方々から求められるのは本当にパーフェクトな人材であることが多かったです。ただ、実際の世の中は、ゼロから起業して会社を成長させてこられた経営者の方々と同じくらいメンタルも強くて、能力も高くて、コミュニケーション能力もあって・・・という人はほとんどいません。
昨今の、「メンタルが強く失敗を受け止め何度でも挑戦できる人材でなければダメだ」といったような風潮はちょっと殺伐としていて悲しいなと感じたりもします。今は順風満帆な人もある日突然病気になってしまうかもしれないですし、家族の事情で同じように働けなくなってしまうかもしれない。そんな時こそ、能力や優秀さではなく、人としてつながっていることが大事なのではないかと私は思っています。
-日本での中小企業に対するコンサルや、シンガポールでの就職、立ち上げ時期のベンチャー参画など、幅広いキャリアを経験したからこそ、それぞれに感じるギャップも色々とあったのではないですか?
大島:自分が合うか合わないかという意味でギャップはありました。私が感じたのは、自分はベンチャーや中小企業で働いている人たちの方が好きだということです。シンガポールで働く人は、それこそいわゆる“優秀”な、グローバルエリート駐在員の方が多いのですが、私はどちらかというと自分で決断して捨て身で海外に来たような人たちの話を聞く方が好きでした。
フリーランスを続けるか再度就職するかを考え直していた時期、改めて自己分析をして思ったのですが、私はやはり、スマートに世の中をうまく渡っていく人たちよりも、「頑張っているけどなかなか成果が出ず、もがき続ける不器用な人」を支える方が好きなんです。一生懸命やっているのになんかうまくいかない、そういう人たちを応援したい。さらに具体的にどんな人を支援したいかと考えていくと、最終的にはやはり途上国支援に行き着きます。今回の転職も、そうした想いや英語力、海外経験などの自分の強みを役立てられる仕事だということから、最終的に入社を決断しました。
-頑張っている人やもがいている人を助けたいと思うようになったきっかけは何かあったのでしょうか?
大島:育った家庭環境の影響は大きかったと思います。父親が自営業だったのですが、まったくうまくいっていなくて(笑)。借金に病気に・・・という状況だったので、父親のような人を放っておけないんです。また私自身学費を貯めるためにフリーター生活を2年しているので、「頑張りたいのにお金や家庭環境が原因でチャンスに恵まれない」という人にとてもシンパシーを感じます。
-なるほど。今後はこれまでのご経験をコラボレーションしたような「中小ベンチャー支援×国際開発」といった活動もしていけるといいですね!
大島:そうですね、将来的にはそういうこともできたらいいなと思っています。
-本日は貴重なお話をありがとうございました!私たちも応援しておりますので是非頑張ってくださいね。また3年後や5年後にもお話をお伺いできればうれしいです。
回り道をしても焦らず着実に前進し、初心に返って最初に目指していた世界へ飛び込んだ大島さん。深い内省によって言語化されたご自身の考えを穏やかな口調でお話くださる姿、そしてエピソードの数々から共通して感じられる芯の強さが、とても印象的でした。
大島さんもおっしゃっていた「選択肢の一つとして独立・起業・フリーランス・会社員があるという考え方」がもっと世の中に広まり、未来に向けて挑戦する人がひとりでも増えることを期待して、みらいワークスはこれからも情報発信を続けていきます。