「プロフェッショナルになりたい」 その抱き続けた想いで選んだインディペンデント・コントラクターという道

作成日:2017年6月14日(水)
更新日:2018年6月13日(水)

プライドを持って成果を出しているからこそ、納得のいく評価を受けたい。「プロフェッショナル」とはそう思えるくらい全力で仕事に取り組める人のことなのかもしれません。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは中村貴彦さん。
「期限付きで専門性の高い仕事を請け負い、雇用契約ではなく業務単位の請負契約を複数の企業と結んで活動する独立・自立した個人」を指す言葉である「インディペンデント・コントラクター(IC)」。昨今の働き方改革とも相まって注目を集めていますが、今回はそのICとしての働き方を長年続けてこられた中村さんにお話をお伺いしました。独立に至った経緯から、ICならではのご苦労、それを乗り越えてきたエピソードなど、臨場感あふれるお話に、引き込まれること間違いなしです。

中村 貴彦

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

慶応義塾大学商学部卒業後、信販系人材派遣会社を経て、1997年に総合人材サービス企業に入社。在籍中、ISP、大手商社との合弁によるネットワーク運用サポート企業の設立、IT運用アウトソーシング企業の設立に参画。主にテクニカルサポート業務、システム/ネットワーク運用管理業務等の業務設計/改善コンサルティングチームのマネージャー兼シニアコンサルタントを務める。在籍中の提案実績は300案件余りに達し、総受注案件の半分以上に関与。2004年7月に独立し、有限会社プロミッションを設立。2009年1月、株式会社化。現在、「実装」と「可視化」をキーワードにクライアントの業務設計、業務改善、新規事業の立ち上げに取り組んでいる。インディペンデント・コントラクター協会関東広報担当。   株式会社プロミッション:http://promission.jp/

中村 貴彦

悩み抜いた末、自分の強みに気付いたことで独立

専門性の高いフリーランスとして業務単位の請負契約を複数の企業と結んで活動する、いわゆる「インディペンデント・コントラクター」として活躍中の中村さんですが、独立するまではどのようなお仕事をなさっていたのでしょうか?

中村さん(以下、敬称略):大学卒業後は信販系の人材派遣会社に勤めていたのですが、2年目のある時、日経新聞で見た株式会社インテリジェンスの求人広告に応募して、1997年の1月に中途採用で入社しました。当時はインテリジェンスがベンチャーとしてものすごく勢いのあった時代で、社内にいろいろなスローガンが貼ってあったのですが、その中で僕が最も影響を受けたのが「35歳までにプロフェッショナルになろう」という主旨のものでした。「プロフェッショナル」という言葉に強い憧れがあり、いつか自分もそうなりたいと思ったのを今でも覚えています。

ただ仕事の面では、当初はとても苦労しました。同業である人材ビジネスの経験もあったのでプライドもあったのですが、新卒にも及ばないような売上しか上げられない時期もあり、入社して丸1年経つ頃には「次の四半期で成果が出せなかったら辞めるしかない」と覚悟を決めていました。今から思えば鬱になる一歩手前だったと思いますが、そんな時に上司から「新会社を作ることになったから行ってこい」と言われました。「出向かぁ、もう本流からは完全に外れたな」と落ち込みかけたのですが、よくよく聞くとそうではなくて、営業よりもオペレーションの方が得意そうだから、新事業の立ち上げをやってくれという話だったのです。

 

結果的にその会社には2年間在籍していたのですが、優秀な人が周りにたくさんいる環境で、半年・1年・3年という長いスパンで事業計画を考えるという仕事に初めて触れて、考え方や感覚ががらりと変わりました。その経験をもとに、インテリジェンス本体に戻ってから担当したプロジェクトを成功させたことで、初めて自分に自信が付きましたね。所属組織や立場ではなく自分に与えられた使命にコミットすれば結果はおのずと付いてくる、と考えられるようになったのも、この出向先での経験があったからでした。

なるほど。そんな経験を経て、そこから独立に至ったのには何かきっかけがあったのでしょうか?

中村:独立したきっかけをあげるとすれば、プロフェッショナルになりたいという想いと報酬に対する納得感、この二つでしたね。プロフェッショナルになりたいという想いはインテリジェンスに入社した時から持っていましたが、報酬に対する納得感というきっかけにぶつかったのは出向先からインテリジェンス本体に戻った後でした。

当時僕はインテリジェンスが新たに作った事業会社のボードメンバーで、後々知ったことですが、当時のその会社の中では上位の給料をいただいていました。しかし、ある時期から自分の頑張りに対する評価に納得がいかなくなってきました。ボードメンバーであるがゆえに事業構造もわかっていますし、仕方がないということも理解できるのですが、「この頑張りに対してこの金額なのか」という気持ちがどうしても生まれるわけです。その結果、次第に評価の場で会社側と揉めるようになってしまいました。

青臭い話ですが、自分としては、立ち上げから関わっていることもあって、会社のこともメンバーのことも大好きなわけです。それなのに、その大好きな仲間と評価の度に揉めてしまう。本当に辛くて、ずいぶん悩みました。「35歳までにプロフェッショナルになろう」というスローガンは自分の中に残っていましたし、同僚からも「一人でもやれるのでは?」と言われたりしていたものの、独立するという選択肢にはどうしてもピンと来ませんでした。ところがある時、いつものように悩みながら新宿を歩いていたら、ふと「独立できるかも」と思ったのです(笑)。それまで延々考えてきた「自分の強みは何だろう」という問いに、突然答えが出たという感じで。それをきっかけに、次の評価面談の際に「正社員ではなく業務委託という形で関われないか」という話をして受け入れてもらい、1年後に独立しました。

結局のところ、会社の中でしか通用しない尺度で評価されるくらいなら、自分にとって一番信頼できる尺度、つまりはマーケットで評価される方がよっぽど健全だし気が楽だと思ったのですよね。マーケットに自分の身をさらした時に案件が来るのか来ないのか、契約が取れるのか取れないのか、お金が貰えるのか貰えないのか。その尺度で判断される方がずっといい。そう思えたことが最後の決め手になりました。

悩み抜いた末に答えが降ってきたのですね。その時に確信したご自身の強みというのは、具体的にどのようなものだったのですか?

中村:コミュニケーションやプロジェクトマネジメント、あるいはファシリテーションなど、混沌としているものをうまく可視化して具現化する力。これが自分の強みであり、ここを売りにすればクライアントの幅は大きく広がると思いました。個人的には、今も昔も市場価値が高い人というのは「社長室や経営企画で、はたから見るとよくわからないことをやっている人たち」だと思います。社長からの指令で、ぺんぺん草しか生えていないようなところに何かを作ったり、大炎上している状況をなんとかしろ、と言われたりする人、いますよね(笑)。そういういわゆる「結果を残す人」ではあるものの「自分は“○○屋”です」と表現しづらい人たちというのは、人材紹介のデータベースにも引っかかりにくいと思うのですが、実は世の中に圧倒的に足りていない。

僕の場合は、色々なクライアントの業務設計をやっているうちに、そのようなニーズが見えてきました。「これは完全にブルーオーシャンだ、ここでなら勝てる」そう思いました。いわゆるコンサルティングとは違い、実装部分を担う役割だと思っているので「インプリメンター」という肩書を自分で考えて、名刺にもそう書いています。

インディペンデント・コントラクターならではのリスク管理と売上拡大策

起業して14年目になるとのことですが、初めから複数のクライアントと仕事をされていたのですか?

中村:常に複数社かつ複数業界と契約している状態が理想的なポートフォリオなので、1社とだけ専属契約というのは今まで一度もないですね。専属の場合、急に契約を切られた時のリスクも高いので、最低でも3社か4社以上は同時並行で契約していますし、業界も偏らないように気を付けています。時代の流れや景気の動きに応じて、やるべき仕事と手を引くべき仕事を見極めようということは常に考えています。

複数社と同時並行で仕事をしたいけれども難しいという方が多いと思うのですが、中村さんはどのような仕事の取り方で現在のポートフォリオを実現されているのでしょうか?

中村:「同時に契約が取れてしまったら案件をさばけないかもしれない」と心配する人もいるかもしれませんが、それは契約が取れてから考えるというのが僕のやり方です。似たような不安は僕にもありますが、実際にそうなったら、お客さんと調整するなり、協業できるパートナーとシェアするなりすれば、何とでもなるわけですから。

一人で自分の体と時間を使ってやっていく以上、売上はどうしてもどこかで頭打ちになりますよね。僕も独立して4、5年後にその壁にぶつかったのですが、その時に出た結論が、誰かとパートナーシップを組むということと、自分の可処分時間以上の仕事を回すための仕組みを導入するということでした。仕組みといってもシンプルなもので、要は「指名の案件や自分でやった方がいい案件以外は複数人で請ける」というものなのですが、これを導入した結果、頭打ちになっていた売上が倍増しました。この仕組みの発想のもとになったのが、大城太さんが著書「「華僑」の思考法則 」の中で説いていた、3つの役割でチームを組織しビジネスを進める考え方でした。詳細はここでは割愛しますが、ビジネスは一人でやるのではなく“お金を出す人”“アイデアを出す人” “実行する人”の最低三人でやるべきだという考え方です。僕も初めはずっと全てを自分でやろうとしていたのですが、これを知って考え方が変わりました。

一人で仕事をすることに慣れていると、他の人に任せるのが怖いという人もいると思います。僕もそういう時期はあったので気持ちはわかりますが、きちんと要件定義をして、定期的にウォッチして信頼して任せれば、そんなに大変なことにはならないと思いますよ。

最終的に信じられるのは自分だけ。だからこそ挑戦すべき

もし今後の展望や目標などがあれば是非教えてください。

中村:展望というほどのことではありませんが、なんだかんだ言って死ぬまで仕事をするのでしょうね。以前は50歳か55歳くらいでリタイアしたいなと思っていたのですが、最近では辞めてどうするのだろうとも思ったり(笑)。人間これからはなかなか死ねなくなると思うので、早めに仕事を辞めてしまうのはリスクだと思います。なので、今の仕事を今の働き方で続けるのではないにしろ、何らかの自分の好きなことや、商売、ビジネスのようなことをやっていくのではないかなと思います。

余談ですが、あるクライアントの社長さんが「死ぬまでみんなで笑って仕事して、パタッと最期を迎えるのが一番いいよ」ということをおっしゃっていて、その言葉も早めのリタイアを考え直すきっかけになりましたね。やっぱり仕事をしてイキイキしている方が楽しいだろうなと。今と同じような働き方を想定するから無理だと思うのであって、その時々の自分の歳の取り方に応じた仕事をすればいいんだな、ゼロサムじゃないよなと今では思っています。

具体的に今後のビジネスの計画なども既にお持ちなのでしょうか?

中村:いえ、まだこれからですね。ただ、強いて言うなら、半分遊びも兼ねていますが、昨年石垣島に家を購入して、自分たちが使わない期間は民泊をしています。独立や起業をすると、経済的なことを全部自分でコントロールしなければならなくなります。僕の場合は数年前にそういうことを集中的に考えた結果、資産形成や投資などの選択肢を現実的に見つめ始めたのですが、こういう知識は持っていて損はないですし、むしろ仕事にもいい影響を及ぼすとても重要なことなのではないかと今では思っています。

では最後に、独立したいと考えている方々へのメッセージをお願いできますか?

 

中村:インディペンデント・コントラクター協会の広報という立場で言うと、一番声を届けたいのは企業の中でくすぶっている人たちです。すごく優秀なのに、優秀すぎて尖っていて、尖っているがゆえに出すぎた杭として打たれてしまっていて、仕事を面白くないと感じている人、意外と多いのではないでしょうか。何らかの使命感に対して頑張ろうとしているのに組織の中では叩かれてしまう、そういう人がもしいるのであれば、「会社なんてさっさと辞めた方がいいよ」と言いたいですね(笑)。せっかくの能力を発揮できない会社なら、出てしまった方がいい。マーケットに自分の身をさらした方がよっぽど自由に泳げますし。

最近、若い人が就職先の第一希望として公務員をあげるような時代になっていますが、「よろしくないなぁ」と思っています(笑)。むしろ、一つの組織に依存したり、何かを妄信したりする方がずっと危険だと思います。最終的に信じられるのは自分だけだと思うので、自分の道を自立して歩けるようになった方がずっといい。若ければ若いほど、失敗も許されますし、戻りたければ組織に戻ることもできるので、若い方々にはぜひ勝負してほしいなと思います。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

「うまくいっていても、3年か5年に1回は自分のやっていることを壊すことが必要」、「一人でやっていると新しいことへのチャレンジが滞りがちになるけれど、意識して挑戦していこうと心がけている」ともおっしゃっていた中村さん。自分が培ってきたものを捨てるというのは非常に勇気のいることだと思いますが、敢えてそれを意識することで自分の成長を自分で促している姿勢に、中村さんのプロフェッショナリズムを強く感じました。

中村さんのお話に背中を押され、独立への最初の一歩を踏み出そうと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。私たちも、未来へ向けて挑戦したいと行動する方々をこれからも応援していきます。