時代に先駆けて心地よいワークスタイルを追求 その中でたどり着いたフリーコンサルタントという働き方

作成日:2018年7月25日(水)
更新日:2018年7月25日(水)

長時間の残業が当たり前だった時代に「ビジネスパーソンとしての価値は費やした時間ではなく成果にある」という信念を貫き、自由な働き方を求めて独立。働き方改革を時代に先駆けて実践してきたフリーコンサルタントは、どのような道を歩んできたのでしょうか。

みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは中村覚さん。
国内電子部品メーカー3社での海外営業と外資系通信機器メーカーでの開発購買に携わった後、2012年よりフリーコンサルタントとして活動していらっしゃいます。「働き方改革」や「ワークライフバランス」という言葉すら存在しなかった頃から「費やす時間ではなくアウトプットにこだわる」働き方を実践し、時代に先駆けてフリーコンサルタントというワークスタイルを選択して現在に至る中村さんは、“これまで”をどのように過ごし、“これから”をどう見据えているのか、独立した経緯から今後の展望まで幅広いお話を伺ってきました。

中村 覚

今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント

日系電子部品メーカー3社にて8年間の駐在を含む海外営業としてのキャリアを積んだ後、外資系通信機器メーカーにヘッドハントされ、開発購買に従事。2012年にフリーコンサルタントとして独立。

中村 覚

時代を先取りした働き方を実践した末に、“電子部品x通信機器×海外・国内x営業x購買”を武器に独立

 

現在は大阪を拠点にフリーコンサルタントとして活動中の中村さんですが、独立前はどのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?

中村さん(以下、敬称略):20代から30代にかけては、国内の電子部品メーカー3社で主に海外営業に携わりました。大学時代から海外で仕事ができるようにと英語の勉強に人一倍取り組んでいたのですが、その希望通り、1社目ではカリフォルニアに3年間、2社目では香港に4年間、上海に1年間、それぞれ駐在も経験させていただきました。2社目ではある程度経験も積んで、責任のある立場にも身を置いていたのですが、子供が成長するにつれ「そろそろ生活の場を日本に落ち着けたい」という思いが強くなったこともあって、3社目の半導体メーカーに転職し、出張ベースで中国市場の開拓に従事しました。

 

ところが3社目に入社してまもなく、北欧の通信機器メーカーからヘッドハンティングされたのです。しかも仕事内容は「会社の購買戦略を考えて、5年後や10年後に使える電子部品をサプライヤーと一緒に開発する」という、それまで長年やってきた営業という仕事とは正反対のものでした。当時私は41歳、転職も最後になるかもしれないという年齢だったこともあり迷いもありましたが、最終的には「今までとまったく逆の仕事も面白いかもしれない」という思いから、話を受けることにしました。

 

出張はかなり多かったものの基本的な生活の拠点は日本に置くことができましたし、国内をはじめアメリカやヨーロッパの半導体・電子部品メーカー等と一緒になって、経営的な視点も持ちながら5年後や10年後を見据えた部品の開発を行なうという仕事は、非常に刺激的なものでした。

 

 

ずっと電子部品の分野で海外と関わるお仕事をなさっていたのですね。そんな中、サラリーマンを辞めて独立しようと思ったのはなぜだったのですか?

中村:直接のきっかけは、所属していた通信機器メーカーが日本から撤退することが決まったからなのですが、もともと30歳くらいから「サラリーマンとして大きな組織で働くのは55歳くらいまでが限界なのではないか」「その頃までにはもう少し自由な働き方をしていたい」という思いがあったので、会社が日本から撤退することがわかった時も、自然な流れで「これを機に独立して、個人でコンサルティングの仕事をしよう」という決断に至りました。

 

その後、当時お付き合いしていた電子部品メーカーの経営者の方から「うちでコンサルティングをしてみないか?」とお声がけいただいたのをきっかけに独立し、フリーコンサルタントとして活動するようになりました。先方が台湾の会社だったので、2,3ヶ月に1度のペースで台湾出張を挟みながらリモートで対応するという働き方をしていました。ワインとマラソンが趣味だったので、週に2、3日働いて残りは趣味に費やすという生活を送っていました。

 

 

まさに理想の暮らし方ですね!しかし、今でこそ「働き方の多様性」や「ワークライフバランス」という言葉が一般的になりましたが、中村さんが30歳前後の頃はまだまだそういう機運は高まっていなかったのではないかと思います。そのような環境で、現在につながる新しい働き方をイメージ出来ていたのはなぜだったのでしょうか?

 

中村:確かに当時は、独立はおろか転職すら珍しい時代でしたからね。私は4回転職していますが、それだけでもかなり珍しい部類に入ると思います。まぁ、当時は今と違って「英語が話せる」というだけでいろいろなところで引っ張っていただけた時代だったので、転職もそれなりに出来たという背景もあるのですが。

 

働き方に関する考え方という点では、新卒で入社した会社で最初の上司だった方からの影響が大きいように思います。その方が当時にしては珍しく全く残業をしない方で、私も「残業をする人間は能力がない」、「残業は格好悪いものだ」という思いを自然に抱いていました。とはいえ時間内に終わらないこともあるので、そういう時はこっそり自宅に持ち帰ってやってはいたのですが(笑)。

 

あとは大学時代の短期留学時の経験も影響があったかもしれません。1ヶ月半ほどアメリカ、1ヶ月間イギリスに滞在していたのですが、ルームメイトやクラスメイトと話をしていると「仕事をする上では、費やした時間ではなくアウトプットにこそ価値があるのだ」という意見の人間が多かったのが印象的です。

 

そういった経験もあり、自分なりの働き方に関する考え方が作られていったのでしょうね。

 

 

なるほど。とはいえ、「残業してこそ立派なサラリーマンだ」という価値観が多数を占めていた時代にご自身のスタイルを貫くには、ご苦労もあったのではありませんか?

中村:おっしゃる通りで、周りからの評価は非常に低かったですね。「あいつは仕事を放り出して帰る」と言われたことも一度や二度ではありませんでした。ただ、10年後や20年後の人生に差がつくだろうなと思っていましたし、家族との時間を大切にしたいという想いもあったので、気にはしていませんでした。

 

「楽しくないことはやらない」をモットーにフリーコンサルタントという働き方を楽しむ」

 

独立後はどのようなお仕事をなさっているのですか?

中村:先ほどお話した台湾の会社との仕事は2年間の専属契約だったので、最初の2年はその案件に集中し、その後は電子部品メーカーで営業や購買に関する講習会やコンサルティングを単発で受ける傍ら、一時期は大阪でワイン関係の仕事もしていました。電子部品に関してはネットワークもあるので以前は営業もしていたのですが、「もう少しクライアントの幅を広げたい」という思いからみらいワークスにも登録し、現在は紹介いただいた国内の大手通信会社でコンサルティングに携わっています。

 

働き方としては、必要に応じて東京や京都への出張が入りますが、基本的にはリモートで対応させていただいています。会社員時代からいわゆる“モバイルオフィス”を実践していて移動中に仕事をすることには慣れているので、ワークスタイルが大きく変わったという感覚はあまりありませんね。

 

独立してからは「楽しくないことはやらない」と決めているのですが、今入っているプロジェクトも非常に楽しくやらせていただいていて、ご依頼いただいていない部分までデータを出したりしています(笑)。

 

 

お仕事もご趣味も含め、人生を非常に楽しんでいらっしゃるのが伝わってくるのですが、仕事を楽しめる人とそうでない人はどこに違いがあると思いますか?

中村:個人的には「ポジティブに考えられるか、ネガティブにしか考えられないかの違い」なのではないかと思います。私自身はもともとポジティブすぎるくらいポジティブで、人生は「いかに有意義に楽しむか」が一番大事だと思っています。仕事でも楽しめることだけをしようと決めていますが、そういう意味ではサラリーマンという働き方も楽しむことは可能だと思いますね。私の場合、サラリーマン時代からの人脈も意識して作ったわけではなく、仕事や趣味を楽しんでいるうちに気づいたら人脈ができていたという感じですから。

 

人脈と言えば、現在携わっている大手通信会社のプロジェクトではさまざまな電子部品メーカーとのミーティングを行なっているのですが、私がこれまでの人脈を頼りにメーカーを探したりメーカーの経営陣層とのミーティングをセッティングしたりすることに対し、先方からは「コンサルタントがそこまでやってくれるとは思っていなかった」とおっしゃっていただいています。コンサルタントというのは「アドバイザーのように会社紹介やミーティングの場で知見を述べる役割」というイメージだったのでしょうね。それを聞いて、実務的な部分も含めたコンサルティングというのも今後は求められてくるのかもしれないと感じました。

マーケットから必要とされる人材であり続けるために

 

今年で独立なさって7年目とのことですが、今後についてはどのような展望を考えていらっしゃるのでしょうか?

中村:コンサルティングの仕事は今まで通り続けながら、まったく別の新たな分野にもチャレンジしていきたいと思っています。具体的には、例えばEV(電気自動車)の分野ですね。今後EVの普及に伴って関連するさまざまなルールが変わってくると思うのですが、そうなると、それまで自動車業界にネットワークがなかった人間でも知識や知見さえあれば参入できるチャンスがある。

 

そう思いながら先を見越して勉強を始めたところです。これからは人材不足も深刻になっていくと思いますが、常にマーケットから必要とされる人間であり続けたいですね。

 

 

素晴らしいですね。学生時代に将来を見据えて英語を身に付けたエピソードといい、現在EVの勉強をされているというエピソードといい、常に先を見越して動いていらっしゃるところは私たちにとっても非常に勉強になります。

中村:英語に関しては、「その当時は、英語を話せたら海外駐在も出来、生涯年収で言えば普通の人の1.5倍は稼げるだろうな」という若気の至りからくる不純な動機で勉強していたのでお恥ずかしいのですが(笑)。

 

個人的には、運にも非常に助けられたなと感じています。家族のために生活の場を日本に落ち着けたいと思った時にも、運よく希望する条件に合った転職先が見つかりましたし、最後に所属していた外資系通信機器メーカーでも、趣味のワインのおかげでフランス人上司とのコミュニケーションが円滑にできてとてもかわいがっていただきましたし、常に運が味方してくれたなと。

 

今後は、趣味であるワインやマラソン、料理を楽しみながら、できれば70歳までは働きたいと思っています。仕事とプライベートのバランスを取りながら、楽しみつつ働いていきたいですね。

 

 

本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!

趣味であるワインは「当時の駐在先だったカリフォルニアで手ごろな価格で手に入ったから」、マラソンも「取引先に接待と称して大会にエントリーされてしまったので仕方なく」といったラフな理由で始められたものの、今では人生に欠かせない存在になっているという中村さん。ご自身でも「ポジティブすぎるくらいポジティブな性格」とおっしゃっていた通り、色々なきっかけを前向きな転機にして歩んでこられたことがお話の随所から感じられ、聞いているこちらまで明るい気持ちになりました。

 

ご家族を大切にするとともにご自身の理想とする働き方を追い求めた結果、フリーコンサルタントとして独立するという道を選んだ中村さん。「生き方を優先して働き方を選ぶ」というその姿勢は、これからの社会ではますます当たり前のものになっていくと思います。

 

ビジネスパーソンの決断を応援し、支えられるプラットフォームでありたい、私たちみらいワークスはそう考えています。