自らの障がいを“乗り越える”のではなく“受け入れる” コンサルタントと障がい者支援の両輪で進める不屈のプロフェッショナルの挑戦
若くして障がいと闘い、それを受け入れることで強くなった彼女が選んだのは、同じように障がいと共に生きる人たちのために前を向いて進む道でした。
みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは元山文菜さん。
美容師として働いていた21歳の頃に股関節の障がいが発覚。以降、障がいと向き合いながらご自身が本当に為すべきことを模索し続け、業務コンサルタント会社の経営とNPO理事の二足の草鞋を履いてご活躍されています。決して平坦ではなかったであろうこれまでの道のりをどのように歩んできたのか、そしてこれからはどのような活動を志しているのか。話せば話すほど勇気がわいてくる元山さんのインタビュー、ぜひご覧ください。
元山 文菜
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
日本美容専門学校卒業後、股関節の疾患により入院。手術の後に4年制大学に編入。大学卒業後、株式会社サクラクレパスに入社し、商品企画部プロダクトマネージャーとして活躍。2008年、富士通に転職し、営業管理業務の業務改善や、業務のアウトソーシングなどを歴任。2017年2月に独立起業、株式会社リビカル代表取締役。一方プライベートでは、2013年より障がいや難病女性向けフリーペーパー「Co-CoLife☆女子部」にボランティアで参加。現在は編集長。発行元である特定非営利活動法人 施無畏(せむい)理事も兼任する。「仕事」の仕組みを構築し、みんなが「働く」を楽しめる社会の実現を目指し日々取り組んでいる。 ◆株式会社リビカル:https://www.rebucul.com/ ◆特定非営利活動法人 施無畏(せむい):https://www.co-co.ne.jp/
元山 文菜
“障がい者生活10周年”を機に「自分にしかできないこと」を模索し独立
コンサルタントとして働く傍ら、障がいや難病を持つ女性向けのフリーペーパー「Co-CoLife☆女子部」の編集長としても活動中の元山さんですが、ご自身も障がいをお持ちとお聞きしました。差し支えなければ、障がいが発覚した時のお話も交えてこれまでのキャリアについてお伺いできますか?
元山さん(以下、敬称略):美容師として働いていた21歳の頃、仕事中に突然左足が痛くなったんです。診断の結果は、骨盤周りがうまく成長しないことから生じる股関節の障がい。医師から「このままでは歩けなくなるから手術しましょう」と言われ、手術に踏み切りました。その時の影響もあり、足には麻痺が残り、結果として立ち仕事である美容師を続けるのは難しくなってしまいました。
その後、親の勧めもあって大学に編入し、卒業後はサクラクレパスという文具メーカーに就職。幼稚園や保育園向けの商品企画を担当しました。ただ、企画職とはいえ営業担当との外回りや展示会などで歩き仕事も多く、手術やリハビリを繰り返していた私の身体には負担の大きい業務でした。結局、このままでは身体がもたないと考え、富士通に転職しました。
富士通ではどのような仕事をしていたのですか?
元山:営業管理業務のBPR(業務改革)に携わっていました。グループの営業事務職を一元化して子会社化するという動きの中で、現場から事務業務を切り出して標準化し、システムも統合し、社員も一つの子会社に集めて。と言っても、社内が相手でしたし長期間かけてやっていたので、クライアントに対してゴリゴリ改革を推し進めるようなプロジェクトに比べれば大したことはしていなかったのですが(笑)。その業務と内部統制の整備などを足掛け9年半やって、独立に至りました。
富士通の中にはそういった部隊も存在するのですね。独立のきっかけは何だったのでしょうか?
元山:数年前に遡るのですが、障がいや病気を持つ人たちを支援するNPO団体 施無畏(せむい)に参画したことが直接のきっかけですね。
31歳の時、子供を産んだ後一度は職場にも復帰したものの、出産に伴い障がいの状態が悪化して手術が必要になったため、再び4か月ほど休職することになってしまいました。子供もいるのに、入院して手術もして杖をついて歩かなければならない。そんな状況がとても孤独に思えて落ち込んでいたのですが、ある日ふと「そういえば今、障がい者になって10周年だな」と気が付き、初めて入院した頃のことを思い出したんです。
同世代で仲良くなった入院患者はほとんどが骨肉腫という骨のガンを患っていました。骨肉腫は生存率50%の病気なので、入院中に多くの仲間を失いました。それによって「死」について深く考えたこと、それから10年間、自分なりに前向きに生きようと必死で頑張ってきたこと・・・。いろいろなことを思い出すうちに、「私の人生はこのままでいいのだろうか」という疑問が湧いてきました。
障がいの状態から考えて、子供をもう一人産むことはできないし、もともとやりたいと思っていた美容師の仕事ももうできない。では、今の私にしかできないことは何だろうか。そう考えるうちに同じように障がいを持つ女性の“心のバリアフリー”を広げていきたいという想いを抱くようになり、NPO施無畏での活動を始めました。
NPOの中で、障がいや病気を持つ女性向けフリーペーパー発行などの活動を続けていくうちに、「これこそ私が本当にやるべきことなのではないか」という想いは一層強くなりました。さらに、2020年のパラリンピックの開催地が東京に決まったことで改めて背中を押され、最終的には「この活動に賭けてみよう」と思ったタイミングで2年前に独立しました。
「テクノロジー × 障がい」で新たな取り組みに挑戦
では、現在はNPOの活動がメインなのですか?
元山:いえ、コンサルタントとして受けている業務コンサルやシステム導入の活動がメインです。
企業の経営を考えた時、これまでは経営ビジョンの重要性や経営戦略や経営資源の活用に重きがおかれていたと思うのですが、現在は「働き方改革」やSaas型サービスの盛り上がりなどもあり、オペレーション戦略が重要だという向きになっています。そこで弊社では、事業戦略に沿った最適なオペレーション戦略と組織図を設計するコンサルティングをご提供しています。その結果、業務システムやRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)を導入することもあります。その本業で得た報酬をNPO活動に回している状態ですね。
なるほど。元山さんがみらいワークスをお知りになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
元山:独立してコンサルタントとしての働き方を模索していく中で、「フリーランスに仕事を紹介してくれるサービスがある」という話を知り合いから聞き、いろいろ検索してたどり着いたのがみらいワークスでした。お恥ずかしながら、独立した頃は「フリーランス」といえばいわゆるクラウドソーシングサイトのようなサービスしか知見がありませんでした。「職務経歴書だけに基づいて低い単価で買い叩かれる」というイメージしかなかったので、マイナスの印象しかなかったんです。ところがみらいワークスに実際に登録させていただくと、職務経歴書には表現しきれないスキルや経験も汲んだ上で案件を紹介してくださり、とても安心しました。
ありがとうございます。しかし、フリーランスにマイナスイメージしかない状態で独立したというのには驚きました。周りに独立や起業の経験者がいらしたわけではなかったのですね。
元山:ほとんどいませんでしたね。富士通社内もそうだったのですが、社外の友人も大手の国内メーカー勤務が多く、独立はおろか転職すら珍しかったので。ただ、NPOつながりでは独立している人を知っていたので、その影響は少なからずあったかもしれません。
NPOでの取り組みによるマネタイズは、具体的にどのような方法を考えているのですか?
元山:現在メインの収入源は二つあり、一つは発行しているフリーペーパーでの広告収入。もう一つはサポーターとして登録してくださっている障がいや病気の当事者1,400名に向けて実施する調査やモニタリングで得る収入です。将来的には障がいや病気を持つ人たちが特性を活かして働けるような場を広げる取り組みにも挑戦したいと思っています。
例えば、コンサルタントとしてご依頼いただく仕事では最近「RPAの導入」が増えているのですが、RPAに詳しい人材は不足しているのが現状です。一方、発達障害を持つ方の中には単純作業が飛びぬけて得意な方がいるので、そういった方々に向けたRPA人材育成を目的とする学校を立ち上げて、トレーニングし企業に送り出す。そういった動きができると、働きたいと思っている障がい者支援にもつながりますし、コンサルタントとしての仕事とNPOでの活動に相互作用が生まれて私自身のやりがいもアップします。2019年はその第一歩を踏み出していきたいと思っています。
素晴らしいアイデアですね。障がい者雇用に悩んでいる企業は多いと思うので、ニーズも非常に大きいと思います。
元山:ありがとうございます。障がい者として、そして一人の母親としても感じるのですが、制約条件がある人とテクノロジーというのは、使い方によってはとても相性のいい組み合わせだと思うんです。身近なところで言えばリモートワークがいい例ですよね。今後も、「テクノロジー × 障がい(多様性を形成する一つ)」という掛け合わせでいろいろなチャレンジをしていければと思います。
コンプレックスを受け入れることで強くなれる
失礼な表現になったら大変申し訳ないのですが、障がいをお持ちにもかかわらず明るく前向きに生きていらっしゃる姿に非常に感銘を受けます。
元山:とんでもないです。でも確かに、障がいを受け入れるまでは「しんどいなぁ」と感じる場面も多かったですね。受け入れられるようになったからこそ、今のような生き方ができるようになったのかもしれません。
私の場合、先天性のものではなく中途障がいなのと、部位が骨盤ということで一見よくわからない“見えない障がい”です。その影響もあり、長年自分の障がいを「最大のコンプレックス」と感じていましたし、「障がいがある」という話をしようとしただけで涙が出そうになる状態だったので、無意識に隠して“健常者”として生活していました。
ところが、NPOに参画して他の障がいを持つメンバーと知り合ううちに「障がいを受け入れる」という概念があることに気づいたんです。これは障がい者に限らず健常者でも同じだと思うのですが、コンプレックスというのは認めることができてこそ笑いに変えることもできるけれど、そうではない時は隠したくなるものですよね。私の場合も、「自分にはこういう障がいがある」ということを見つめ、そして認めることができて初めて、ポジティブに考えることができるようになりました。
その意味では、「コンプレックスを受け入れることで強くなれる」というのはどんな人にも共通なのかもしれません。「乗り越える」のは辛いので「受け入れる」。それが大事なのではないかなと思います。
素晴らしいですね。おっしゃる通りだと思いますし、私たちも多様性を受け入れる社会を目指しているところはあるので、非常に勉強になります。
元山:多様性といえば、独立後、みらいワークスで紹介していただいたプロジェクトに参画したことで、仕事上でも多種多様な人たちと深く接する経験をさせていただき、私にとっても非常に勉強になりました。会社員時代はどちらかといえば近しいバックグラウンドの社員同士で仕事をするだけだったので、「感覚が違う」という経験はそれほどありませんでした。しかし、フリーコンサルタントとして参画するプロジェクトで出会う方々は、時間の感覚もお金の感覚もまったく違います。
特にみらいワークスからいただく仕事は大きな企業でのプロジェクトも多いので、出会う人の多様性もより一層広がるんですよね。私の場合、そうやって多くの方と接することが「自分の取扱説明書」のようなものを棚卸しする機会にもなりましたし、自分とはかけ離れた仕事の進め方をする人たちを目の当たりにして、自分のやり方を見つめ直すこともできました。これは大規模な案件をいただけるみらいワークスならではの魅力なのではないかと思います。
NPOでの取り組みのマネタイズに、コンサルティングの仕事。今年はますます頑張っていきたいです。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
美容師としてまさにこれからというタイミングで障がいが発覚、それからは入院・手術・リハビリを繰り返しながらチャレンジを続けてきた元山さん。出産を経て、ワーキングマザーとして障がいの悪化と闘いながらも「自分にしかできないことは何か」と自問し続けた結果、現在の働き方にたどりつきました。ご苦労も多かったに違いないこれまでの歩みを終始笑いを交えてお話くださる姿に、私たちもすっかり魅了され、あっという間に時間が過ぎていきました。
コンサルタントとしての仕事とNPOでの活動をクロスさせ、シナジー効果を生むことを2019年の目標にしたいとおっしゃっていた元山さん。前向きにチャレンジを続ける元山さんをこれからも応援し続けたいと思います。