NPOの活動時間をつくるため独立した44歳男性の「ワークポートフォリオ」の考え方
複数の仕事や収入源を持ちながら働くことはリスクヘッジにもなり、やりたいことを追求できる働き方のひとつの形でもあります。みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューは、「児童養護施設の卒園者を支援するNPO法人の活動時間をつくるため独立した」と語る小沼敏行さん。
生活のための“ライスワーク”として、豊富な経験とスキルがある事業企画やマーケティング業務を企業から請け負い、“ライフワーク”として社会課題解決に取り組む小沼さんのお話をヒントに、ぜひ、ご自身のワークポートフォリオを見直してみてはいかがでしょうか。
小沼 敏行
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
大学を卒業後、2001年に日系広告代理店に入社。その後も外資系広告代理店などの営業職やメディアプランナーとして広告業界でキャリアを積む。2007年から家業である小沼塗装店の事業にも携わる。2016年、事業企画とマーケティング業務を主とした個人事業主として独立。2017年にNPO法人「児童養護施設卒園者共生協会フレイバース」を設立、活動を続けている。2020年4月から2022年3月まで事業構想大学院大学の事業構想研究科に通い、仕事と学びを両立させた。
小沼 敏行
広告業界で積んだキャリア
インタビュー中の小沼さん
大学時代はプロ野球選手を輩出している名門、立正大学の準硬式野球部に所属していたそうですね。新卒での仕事に、広告業界を選んだのはどういった理由だったか教えてください。
小沼さん(以下、敬称略):学生時代は野球漬けの日々でした。兄が2人いるのですが、さて就職活動だ、となったとき、社会人として先輩である兄が働く広告業界に興味がわいたんです。広告代理店での営業やメディアプランナーとしての経験が、現在のフリーコンサルタントとしての仕事につながっているわけですから、新卒で入社した業界との縁は大事だなぁと今更ながら思いますね。
新卒で就職後、2016年に独立されるまでの15年の間に外資系の広告代理店など数社でキャリアを積まれています。
小沼:この間、広告業界は大きなうねりの中にありました。新聞・雑誌・フリーペーパーなど紙媒体やテレビメディアからインターネット広告へ、販売活動もデジタル化が急速に進みました。「紙媒体だけではキャリアの未来は描けない、デジタル広告やデジタルマーケティングの提案力を磨きたい」と考え、新しい領域にチャレンジしている企業への転職で、経験とスキルを身につけていったという感じです。
家業に携わったことが1つの転機に
住民の誇りであるユネスコ文化遺産の新庄まつり
転職でスキルアップを図っている15年間のうち2007年〜2011年と2013年〜2014年は、家業である建築塗装の会社に入社されていますね。広告業界とは違う業界、社長である父親の下での経験が、独立の背中を押した……という部分はありますか?
小沼:そうですね。サラリーマンをやっていたら見えない景色を自営業者の視点で見ることができたのは大きかったかもしれません。小沼塗装店は住宅の塗装をメインに行う会社なのですが、社員は7人。塗装職人はみなさんフリーランスの立場で会社と契約を結んでいます。Aの職人さんとBの職人さんで人件費を計算し材料費などを加味した見積書を作成。納期までのスケジュール管理を行うなどの業務は広告運用コンサルタントの仕事内容と同じです。建築業界は伸びていて、やり方次第では事業を拡大できると意気込んでいました。
ただ一方で、兄も会社勤めを辞めて家業を継ぐことになりファミリービジネスとしてやっていくなかで、自分がやりたいことを押し通そうとすると仲が良い家族の均衡を壊しかねないなと感じることがありました。社長である父には父のこれまでのやり方があり、次兄には次兄の商社での中国赴任で培った経験からくる経営手法の正解がある。家業は父と兄に任せ、自分は事業企画・マーケティングの土俵で独立を目指そうという考えにいたりました。
社会人15年目の節目できた「独立するなら今だ!」
山形県新庄市の伝統工芸 東山焼
家業を離れるタイミングですぐ独立したわけではなく、以前働いていた会社やマーケティングリサーチ事業会社に勤められていますね。独立はハードルが高いと感じられていたのでしょうか?
小沼:広告業界は人材の流動性が高く出戻り社員も多いので、いったん戻って足場を固めようと思いました。マーケティングリサーチ事業会社はヘッドハンティングを受けての転職だったのですが、そこで「次のステージにいきたい」という気持ちがふっと湧いてきたんです。新卒で働き始めて15年という節目だったのも影響していたのかもしれません。
社会人になってから、仕事と同時に始めた児童養護施設でのボランティアも15年が経ち、もう一歩進んだ支援をするためにNPOを立ち上げたいという気持ちも高まっていました。やりたいことが次々と浮かんでくる。でも、会社員としてフルコミットしていると時間的な制限や体力的なきつさもあり難しい。時代背景としても、IT系が多かったフリーランスにマーケティング分野のニーズも出てきたところでした。「独立するなら今だ!」と思い2016年、38歳のときに独立しました。
やりたいことをやるために選んだ独立
新庄市の広大なかむてん公園にて
直近のみらいワークスの案件をみてもIT関連が7割超ですが、それに次いでマーケティング関連が15%とかなりニーズが高まっている印象です。とはいえ、マーケティング分野を個人で開拓していくのはなかなか難しかったのではないですか?
小沼:そうですね。最初のほうは、マーケティングプロセスの中でも実行部隊として手足を動かす「下流工程」の案件を受けることが多かったんです。企業の担当者から「あれやって、これやって」と言われたことを受け取って処理していくうちに工数は増えていくのですが、その増えた工数分の報酬をしっかり受け取ることができないということもありました。
個人事業主として企業と直に交渉するとどうしても立場が弱くなってしまうんですよね。個人で経験を積みながら、戦略立案といった「上流工程」の案件を受注できるようになり、みらいワークスのような間に入って契約内容や報酬について交渉してもらうようにした結果、今はクライアントと対等な関係を築き、成果が出せるようになっています。
立ち上げたNPO法人「フレイバース 」は、児童養護施設の卒園者をサポートする団体です。
小沼:施設を出た卒園者のよりどころとして、何かがあったらすぐに彼らの話に耳をかたむけ寄り添いたいと考えています。フリーランスになって時間の融通が利くので、仕事をしながら急な連絡にも対応できます。会社員だったらできないことでした。
これまでを振り返ると、大学時代のアルバイト先で知り合った児童養護施設出身の仲間との出会い、この出来事が大きく影響しているように感じます。卒業後、広告業界で働く中で「この仕事は社会のためになっているのかな……」と考え始め、ずっと心のどこかで気にかかっていた児童養護施設でボランティアを開始しました。
15年の時が経ち、関わった児童養護施設の卒園者たちが直面する教育格差や経済格差、生きづらさといった社会課題と向き合っていきたいという欲求が出てきた。やりたいことを実現するための働き方を考えた結果、フリーのコンサルタントで生計を立てつつNPO法人を立ち上げるという決断にいたりました。仕事でのモヤモヤ、プライベートでのモヤモヤに向き合い、解決する方法を考えたら独立にいきついたという感じです。
言い訳が利かないからこそ「対等」になれる
山登りと山菜採りで自然と一体化
1年前からは、地域おこし協力隊として山形県新庄市に住んでいるそうですね。
小沼:独立したら場所にしばられることがなくなったので、以前からやりたかった「自然を感じながら仕事をする」を実現しました。実際は東京・江東区に実家があるので、仕事で必要なときは東京に戻るという二拠点生活です。山形県新庄市を選んだのは、両親の出身地だから。東京以外に住むならここしかない、と思っていました。
実は地域ならではの事業で起業したいという思いもあり、今春には「山菜の魅力を体現する」会社を立ち上げる予定です。地域おこし協力隊を通して地元の課題や魅力を深く知ることができ、知り合いも増えました。
フリーランスになる前、30代半ばの私は「どう生きるか」「どう生きたいか」をつねに考えていました。広告の仕事は好きだけれど、それだけで1日が終わる暮らしでいいのだろうか……。心地いいと思えるライフスタイルに合った働き方はどういう形だろう……。今は、フリーコンサルタント、NPO、地域おこし協力隊、起業準備と、仕事も場所もしばられずに生活できています。
対価に見合った結果を出し、成果を出せなければ仕事がこないのがフリーランスのこわいところ。一方でクライアント、エージェント、関わるすべての人々と対等な関係を築けるのが、フリーランスのいいところでやりがいを感じる部分です。言い訳が利かないので、ここを楽しめないとフリーランスになったらきついでしょうね。
本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!
インタビュー中、何度も出てきた「対等」という言葉。独立して良い仕事をするには、クライアントが上に立つ関係でも、プロフェッショナル人材側が上から目線で発言する関係でもだめで、さらには企業と人材をつなぐエージェント側も中立を意識しなければいけないなとあらためて気付かされました。
「やりたいことを実現するために、ライスワークでしっかり成果を出す」小沼さんのお話を聞いて、場所にも1つの仕事にもしばられない自由な働き方が当たり前の世界が少しずつ近づいているのを実感しています。