30代で学び直しデータサイエンティストに転身。その時点で起業する覚悟を決めていた
みらいワークスがお届けする「プロフェッショナリズム」、今回のインタビューはデータサイエンティストとして活躍する大井竹昭さん。大井さんは教育系ベンチャー企業に勤務後、大学院でEBPM(統計や機械学習の技術を使った政策評価、※1)を研究。外資系コンサルティング会社などを経て2020年に株式会社KOMPASを起業。代表として情報やデータの利活用を中心としたコンサルティングを手掛けています。
もともと数学は数Ⅰまで、かつ英語学習が苦手だったため、大学院での学び直しは大変苦労されたという大井さん。起業後すぐにはメインのAI事業が軌道に乗らず、資金がショートしそうになった時期もあるそうです。こうした困難を挽回しどう乗り越えたのか、気になる方も多いのではないでしょうか。今回は大井さんがデータ分析のプロフェッショナルとして起業するまでの軌跡や、今後の目標についてお伺いしました。
大井 竹昭
今回のインタビューにご協力いただいたプロフェッショナル人材・コンサルタント
新潟生まれ。同志社大学神学部、International University of Japan(国際大学 以下、「IUJ」)国際関係学研究科公共経営政策分析プログラム卒業。外資系総合コンサルティング会社などでデータサイエンスの専門家として活動した後、2020年に株式会社KOMPASを設立。独自の予測AIモデルをもとに戦略見直しや業務改革などのコンサルティングを行なう。大手百貨店のDX案件や公共団体の新規事業など、多岐にわたる案件を手掛け、さらにAI、戦略・経営分析の専門家として活動。
大井 竹昭
8年間の社会人生活をやめて、30代で大学院に入り直し、データサイエンティスト、起業の道へ
IUJ時代 友人たちと
大井さんは同志社大学・大学院で神学を学ばれた後、故郷の新潟でeラーニングを扱う企業に就職されました。就職されたのは、どんな理由でしたか?
大井さん(以下、敬称略):同志社で神学の研究者になることを漠然と思い描いていたものの、父が倒れてしまいました。そこで、研究を諦めて実家の新潟へ戻りました。特にeラーニングをやりたかったわけではなかったんです。両親の身の回りが心配だったので、まず新潟で様子を見ようと、大学でも家庭教師をやっていたのでとりあえずと思い、家庭教師の登録をして実家の生活と仕事の並行を試みました。そうして登録した会社の一つががインターネットを使った家庭教師事業を始める準備をしているということで、開発プロジェクトに参加することになりました。
文系出身の大井さんが、いきなりシステム開発プロジェクトに抜擢されたのですね。
大井:ゲームを通じてではありましたが、パソコンは身近にありました。同志社の必修授業で先生から「アメリカに戻るから課題はEメールで出しておいて」と言われたんです。その当時、1995年はインターネット黎明期で通信環境は今のように整備されていませんでしたので、課題をメールで出せというのもかなりの無茶振りですよね。
しかも学校が休みに入ってしまったので、自宅からメールを送るしかない。友人達と頭を抱えながら通信プロトコルを作って学校側に導入してもらい、何とか課題を提出することができました。そこまで苦労したにもかかわらず、結局は僕たち数人しか課題を提出できず、休み明けに紙で出してもいいことになったんです。家庭教師の登録時にこの話を大学時代の記憶に残るエピソードとしてお話していました。おそらく、これがきっかけですね。
eラーニングの企業に8年間勤務された後、再度大学院に進学されました。学び直そうと思ったきっかけは何ですか?
大井:EBPMを学びたいと思い大学院に進みました。社会人の学び直しというとMBAが多いですが、僕はもっと実用を目指しまして。これは幼いころ、祖父から教わったことが影響しています。
祖父は地元の金融機関の経営に携わり、地方企業の為替取引について悩んでいました。当時は地方の企業が外貨取引をするのは大変だったんです。外貨が欲しいと思った企業は最初に銀行窓口で申請をして、地方銀行協議会の承認、次に全国銀行協議会の承認を得て、さらに大蔵省とか国際為替決済銀行のOKが出てやっと外貨取引ができる時代。着金まで何か月もかかるので、その間にレートも物価も変わってしまっていたんです。
そこで祖父がより地域企業のために、せめて地方銀行協議会の中に為替のディーリングルームを作りたいと活動を始めました。その活動は大蔵省をはじめ多くの組織を巻き込むことが必須ということもあり、しっかりとしたガバナンスルールを策定する必要がありました。金融取引におけるインシデントやアクシデントの種類と頻度の調査のために、祖父からお前も相場をやれと言われまして。祖父の監督下で最も自由な身分で金融商品の分析や取引ができる僕に目を付けたんでしょう。小学生の僕は為替をはじめとした金融取引とファンダメンタル分析(※2)を叩き込まれ、取引結果と取引の理由を会うたびに聞かれました。いまにつながる分析の基礎は祖父が作ったと思います。
ただ経済学では「政策は台風みたいなもの」というのが常識でした。こちらの意図に関係なく突然来て場をひっかきまわす、いわば天災のようなものだから計算に入れないという考え方でした。でも僕はそれでは取引を前提とした場合の分析としては使えないと思ったんです。政策の良し悪しや影響は人の営みや生活の変化を見ればわかります。そして、その政策を推し進めている人にどんな支持基盤があるかがわかれば、「こんな政策をするだろう」と予測できますよね。だったらそういう要素を計算式に入れるべきだと思うんです。そうでなければ使えない、だからこそ中立的に政策を評価し影響を計測する手法を学びたいと考えました。
IUJを選ばれたのは、どんな理由ですか?
大井:新潟にあったことも理由の一つですが、まず英語をなんとかしないといけないと思ったんです。勉強の英語が苦手でして、日常会話は大丈夫だったんですが頭打ち状態でした。ですが、あらゆる情報が世界中に知れ渡るのにかかる時間はたった2時間ということを知りました。日本語に翻訳されている間に2時間過ぎたらもう遅い。ということは、英語ができなければいけない、と考えました。
IUJは授業や論文だけでなく事務手続きなどすべてが英語。そもそも日本人がすごく少ない大学院です。僕がいた当時、日本人は先生や事務を含め全体の2~3%でした。同級生のほとんどは政府系の奨学金を使った国費留学で来ていた外国人です。シンガポール大統領府の大統領補佐官をしている人とか、モンゴル金融庁の投資セクションにいた人もいて。ちなみに、今ではみんな出世しています。
僕の場合は生きた政策の現場をその当事者と一緒に学べる点でIUJが一番良いと考えました。日本ではあまり知られていないですが、世界的に評価の高い学校であり、使うためのカリキュラムを提供するという理念と実践的な授業の内容を重視しました。
やはり英語の面では相当な苦労がありましたか?
大井:英語も苦労しましたが、文系出身ですから数学も数Ⅰ止まりでした。祖父から学んだのは情報の読み解き方だったので、数学とは違うんです。全く新しいことを、さらにわからない専門用語の英語で聞くわけです。最初から最後まで、本当に辛かった。
成績はクラスで下から2番目。途中で一番下の人が別の科に転科してしまい、そこから僕がビリ。1番できない奴ということで、先生たちは良くも悪くもかわいそうな僕をすごくフォローしてくれました。「今回のテストでは大井くんに点をあげられないから、レポートを書いて」みたいな感じで、温情をかけて頂いて他の同級生よりも多くの課題を課されましたね。おかげで、最優秀論文を獲得することができました。
辛くても挫折せず続けられたのはなぜでしょうか?
大井:「使えるようになるために行く」という目的が明確だったからです。使えるようにならないと、先がないと思っていました。正直言うと、僕は組織をあまり信じていないんです。大きな会社に所属していても、なかなか安心できませんよね。例えば大手外資系銀行に勤めていた僕の先輩は、午前中普通に働いていたのに昼休みに呼ばれその場で解雇されたそうです。日本ではめったにそういうことはないけれど、最終的に組織は自分を守ってくれない。だから組織に頼らず自分でできる力が必須だと思っています。
データ分析のプロとして事実と向き合い、顧客に「真実を見ないなら先にすすめませんよ」と言ったことも
みらいワークスオフィスでのインタビューにて
大学院卒業後はデータサイエンティストとして人流を対象とした専門調査会社へ入社されたそうですが、こちらではどんなお仕事をされていましたか?
大井:その会社では人の流れや動きを分析してビジネスチャンスを拡大するという事業をやっていました。例えば晴海や有明に大規模な展示場がありますよね。ああいうところで開催される展示会等で、スマートフォンの位置情報を取得する機能を使って、人の流れを記録し分析するんです。そうすると、どのブースにどういう人が何秒くらい滞留しているかがわかりますので、どの会社がどの分野に関心があるかがわかるわけです。
こういったデータ分析の結果を使って出展企業と関心を持つ人や企業をマッチングすれば、新しいビジネスにつながるんじゃないか、というのがコンセプトでした。ただいろいろな意味で難しかったですね。分析が難しいというより、分析することにより価値のある意思決定ができる、ということを理解してもらうことが難しかったです。最終的に事業方針を転換することになり、それをきっかけに僕はSaaSを運営するベンチャー会社に転職しました。
SaaSベンチャーでも、やはりデータを分析する仕事をされていたのでしょうか?
大井:転職したSaaSベンチャーは、WEBページに接客を目的としたポップアップを出すサービスを手掛ける会社です。その接客によってどのくらいコンバージョンを増やせるかがポイントなんですが、当然うまくいかない場合もあります。僕はデータを分析して、改善点を提案する仕事をしていました。
例えばある上場企業のケースでは、その会社のWEBページを分析したところ、会社代表と取引金融機関の副頭取が握手しているページがものすごくコンバージョンを下げていたことが分かったんです。「いろいろしがらみがあるとは思いますが、このページは公開しないほうがいいですよ」みたいなアドバイスをしていましたね。当然この提案は採用されませんでしたが、現場では大いに受け入れられました。
クライアントワークでは、先方が絶対イエスと言わないような提案をせざるをえないこともありますよね。そんな時はどんなマインドでしたか?
大井:当時は若かったですし、クライアントワークにそれほど慣れてなかったので「真実をまず正面から見られないようなら先にすすめませんよ」なんてはっきり言っていましたね。相当怒られましたし、嫌われたこともあります。もともと空気を読まない性格ということもあり、忖度してまで事実を捻じ曲げるっていう発想はないんです。
データサイエンティストの方々は、やはり事実を重視する方が多いですね。
大井:データサイエンティストという仕事によって、そういう性格が作られる部分もあるかなと思います。結局面白くない事実が目の前にあっても、まず受け止めるところから始めないといけない。ここがこの領域を学んだ人の特性だと思います。
自分の転職時にも、どこまでのリスクなら許容できるかを統計スキルで計算
地元新潟にあるIUJの冬景色
大井さんは約2年間データサイエンティスト協会でも活動されていたそうですね。こちらは出向のようなかたちでしたか?
大井:SaaSベンチャーのあとプロフェッショナルを派遣したりプロフェッショナルを集めて業務委託をうけたりするエージェンシー会社に移りまして、そこで会社の指示を受け参加したのがきっかけです。データサイエンティスト協会は加盟企業で運営することになっています。ただボランティアなので、仕事が終わった後に活動していました。当時はセミナーで話す側ではなく裏方をしていて、資料作りなどを担当していました。
この活動でプラスになったことはありましたか?
大井:同じ方向性の会話ができる人に出会えました。あるある話ができて、すごく嬉しかったですよ。最近はデータ分析を専門とする人材は増えていますが、僕の年代はまだ黎明期ですごく少なかった。だから同業の人と話す機会がほとんどありませんでした。大学院の仲間とかアカデミアのコネクションを除くと全然いなくて、ただ一人SaaSベンチャーにいた同僚くらいでしたから。その後もいくつか会社を移っていますが、幸いどの会社も協会に加盟していたので、協会の活動は続けることができました。
ちなみに現在は、残念ながら協会での活動はしていません。参加するにはそれなりの負担がありますので、正直言うと起業したばかりのうちの会社ではちょっと厳しい。ただそれまでの活動でいろいろと人脈ができたので、ときどき企業研修講師のお話をいただいています。
ちなみに、お仕事以外でも統計スキルを活用することはありますか?
大井:僕はリスクをとる考えの人間ですから、どこまでのリスクなら大丈夫かを知るために統計を使うことはあります。例えば転職するとき。当時勤めていた会社に残るかベンチャーに転職するかで、ちょっと迷った時期があるんです。提示された年収をもとに会社に残って所得は細いけど生活費もかからないパターンと、ベンチャーに行って所得は上がるけど生活費も上がるパターン。それぞれのパターンで1年後にどのくらい所得が伸びるのか計算したことがあります。
どこで暮らしても新潟の実家に帰ることはありますので、そこも加味して計算しました。その結果どちらのパターンも生活に大きな差はないけれど、ベンチャーに行った方が可処分所得といいますか、通帳の中に残るであろうお金ががほんのちょっとだけ上だったんです。その結果を見て、東京に行きました。実際に1年後に計算したら、その時計算した結果と100円も違わないほど精度が高かったです。
それはすごいですね。ある人が挑戦したらどのくらいの確率で年収いくらになって、失敗したら年収いくらになる、みたいなこともわかってしまうわけですか?
大井:ざっくりとは、わかります。KOMPASで新規事業のお手伝いをしたりすることも多いのですが、その時の経験とほとんど同じプロセスで事業計画の立案をお手伝いしています。成功するかしないかはある程度計算できると考えます。
大学院に入る前から、最後は起業するしかないと腹をくくっていた
IUJ時代のプレゼン
その後2020年に大井さんは株式会社KOMPASを設立されました。こちらではどんな事業を行なっていますか?
大井:メインの予測AI事業と、サブのコンサルティング事業があります。予測AI事業は、独自に考えた予測AIモデルを使ったビジネスですが、こちらはまだ苦戦中です。これは大学院でEBPMを通じて学んだ「金融工学や計量経済学」をベースにその後10年間くらいかけて自身で構築したものです。
自分で作った予測AIモデルは投資やリスクマネジメントで使えるレベルだぞと気づいて、これをビジネスにすれば分析することができない人にも良い意思決定を促すことができるようになるのではないかと考えました。最終的に50%以上の精度があったら効果がある。極端に言えば50.1%でも最終的にはプラスになりますから。僕の作ったAIモデルは70%以上の精度をたたき出したので、金融業界だけではなく企業経営の予測にも使ってもらうことによって、いろいろな企業とwin-winな関係を作れるかなと思ったんです。
予測AIモデルができあがったため、「よし、起業するぞ」となったのですか?
大井:そうでもなくて。この予測AIモデルをテストしようと思った時、当時は外資系総合コンサルティング会社にいたので諸々テストができなかったんです。監査法人を含む総合コンサルなので、株や為替などの金融投資やさまざまな需要予測等を私的に行なうことは厳しく制限されていましたから。自分のモデルが本当に使えるかどうかを確認するには起業するしかなかったんです。
昔から起業したいという気持ちはお持ちでしたか?
大井:大学院に入った時点で、腹をくくっていました。分析担当役員って世の中にいないですよね。社長よりも詳しい社員がいるのはおかしいですから。分析担当役員というポストがないなら、最終的に僕は独立するしかないと思っていました。家族にも「大学院に行って分析の道に入るからには最終的には独立する、安定したサラリーマンには戻れない」という話はしていました。
大井さんが起業された会社には、東京本社と新潟事務所の2つの拠点がありますね。やはり出身地である新潟にも思い入れがありますか?
大井:先ほどお伝えしたように、僕はリスクを常に考えています。自分で会社を経営していると、いつ何があるかわかりません。だから新潟の実家は、いざとなったら戻る場所として残しているわけです。僕にとっては思い入れだけでなく現実的な意味でも大事な場所なんです。
それに新潟の地域GDPは、実はカザフスタンより高いんですよ。東京から見ると新潟は田舎ですが、産油国で裕福なカザフスタンと同じ経済レベルを有しています。それならもっとやりようがあるんじゃないかな、と。新潟を少しでも元気づけようと活動しています。
コンサルティングをはじめて会社が軌道に乗ってきた。将来はリンゴ園をやることが夢
インタビュー後 みらいワークスオフィスの敷地にて
さきほど、起業後メインの予測AI事業は苦戦中と伺いました。どんな課題があるのでしょうか?
大井:起業したばかりの頃は、金融機関にこの予測AIモデルが売れると思っていました。ところがコンセプトや制度に興味は持ってくれるのですが、契約に近づくとフェードアウトしていくという反応で。サービスとして彼らをサポートするつもりで作ったものの、なかなか受け入れてもらえませんでした。このままだと食っていけないぞ、と焦りましたね。
そこでサブのコンサルティング事業に取り組んだわけですね。
大井:サブ事業として、データ分析を使ったコンサルティング事業を始めました。以前みらいワークスさんから来ていただいたコンサルタントと一緒に仕事をしたことはありましたが、当時は自分が登録する発想が全然なくて。そうこうしているうちに予測AI事業だけでは資金がショートしそうになって、ようやくエージェントさんに依頼することを思いつきました。
コンサルティング事業は仲間たちのおかげで順調です。コンサルティングをサブ事業と言っているのは僕だけで、メンバーはコンサルティングがメイン事業だと言っていますが。
コンサルティング事業が順調なのは、何かポイントがあるのでしょうか?
大井:前職は大手外資コンサルティング会社にいたので、スキルや経験は持っています。だから作る資料も、他の大手コンサルタントと遜色がないのだと思います。ただ大手はブランドもありますから、価格が高いですよね。必然的に僕の方が価格面で優位に立てているのかなと思います。
それに、小さい組織なのでしがらみやお金からも自由になって活動できるということも大きいと思います。自由な発想で状況を打開していく突破力とそれを実行に移すための計画力を評価していただいています。
コンサルタントとしてプロジェクトに関わるとき、どんなことを心掛けていますか?
大井:さきほどお話しましたが、「面白くないことでも、事実なら向き合え」というところはかなり強く言いますね。若い頃よりはだいぶ丸くなったと自分では思っていますし、いろいろなことをみてきましたが本質は残っています。ですから、そこを許容してくれるクライアントさんが続けて依頼をくださっていると思います。
あとは最終目標に向けて、「何年かけて計画するか」という部分をすり合わせできるのが自分の強みかなと思います。長い目線で関われるところは評価いただいていると思います。どうしても大きな会社さんですと、ある程度の期間で結果を要求されてしまうものですから。
今後の事業の目標をお聞かせいただけますか?
大井:みらいワークスさんのおかげもあってコンサルティング事業は順調ですので、拡充して最終的に僕が触らなくてもビジネスとして動くようにしたいですね。その代わり、上がってきた情報をもとに僕や分析に強いメンバーがいろいろな予測を行なって、コンサル分野にしっかりフィードバックするというのが目標かな。
メイン事業の基幹である予測AIシステムはすでに完成しているうえに、ビジネスの仕組みを世界中どこの国でも使えるようにデザインしたので、数年以内での海外展開を目指しています。
お仕事以外に、これからチャレンジしたいことはありますか?
大井:リンゴ園をやりたいと思っています。青森の農業試験場の論文を読んだことがあるのですが、大豆を植えた土だと、病気に強いリンゴができるので無農薬で収穫まで持っていけるそうです。リンゴの花には酵母があるので、つぶしてお酒が作れる。酒税法違反にならないようにしないといけませんが。あとリンゴを受粉するために、蜜蜂を置きますよね。そうするとはちみつが取れる。これもミードというお酒になる。さらにリンゴが風で落ちてしまったら、イノシシが食べにくる。ハムが向こうから来るようなものです。さらに草取りのためにヤギを飼えばチーズができる。
リンゴ園をやれば、リンゴがあって、はちみつがあって、ハムもチーズもある。物々交換で小麦粉をもらえばリンゴパイもできます。僕はどこにも行かず、質の高い生活ができるというわけです。これを実現するには資金も必要ですが、コンサルタントをやりながらでは難しい。コンサルティングって、体力勝負。だから僕の中でコンサルタントはあくまで副業なんです。
メイン事業を育てて、市場分析をしながら、のんびりリンゴ園をやるのが理想です。まずは予測AI事業を軌道にのせないと。リンゴ園はまだまだ先ですね。
最後にこれから独立や起業に挑戦したいと思っている方に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
大井:考えるより動いた方がいい、と伝えたいですね。フランスには「知らないものは食べてみろ」ということわざがあるそうです。やっぱり食べてみないと、味はわからないんですよ。動いてみてはじめて見えてくることもありますし、「こういうのはどう?」って言ってくれる人も出てきます。
ただ自分でコントロールできないことに対して気にいらないからやめるという感じで動き始めてしまうと、良い結果を生まないことが多いです。例えば会社の方針が合わない等です。ほとんどの場合、方針っていうのは法律や経済状況などからどうしようもなく変えざるを得なくてやっているときが多いんです。ですので、そういう時に方針が合わないって騒いでも誰からも賛同を得られないんです。そういう時は、自分でコントロールできる環境をどうやったら広げていけるかと考えて、将来なりたいイメージを基に何を最大化した方がいいのかを考える。それから1歩を踏み出すと、大きく外れないはずです。
大井さんご自身の「将来のなりたいイメージ」はどんなものですか?
大井:リンゴ園を中心とした環境構築。それを実現できたら幸せなんじゃないかというイメージがあるから頑張れるし、いろいろな我慢もできます。でも将来幸せになれるというビジョンがなくて、この先ずっと嫌なことが続くかもしれない状況だと、我慢できませんよね。自分がやりたいことの中で何を最大化させることができると幸せにつながるのか。もしくは何を絶対にやりたくないのか。どちらでもいいんですが、突き詰めれば良い手段がいくつか残るはずです。そこまで考えれば、もう動いてみないとわからないレベルになっているはずです。将来どうなりたいかを考えて、そこに直結するならまず動いてみることが一番正解だと思います。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
学び直しや起業など、常に新しい道に挑戦されてきた大井さん。お話を伺うと思いつきで行動したわけではなく、どこまでのリスクなら許容できるかを綿密に計算され、ご自身が将来なりたいイメージを明確に持って取り組んでいらっしゃいました。
またインタビューで印象的だったのが、常にはっきりとご自身の考えや思いを伝えてくださったところです。コンサルタントとしてオファーが絶えない大井さん。忖度や空気を読むことをせず、まっすぐに事実と向き合う姿勢が支持される理由なのでは、と感じました。
※1 EBPM
EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)とは、政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること。
※2 ファンダメンタル分析
国の金融政策や経済指標(財務収支、経済成長率、物価上昇率、失業率など)といった基礎的なデータをもとに相場を予測する分析手法のこと。